ネットニュースで、
鉄道の小さな駅に、駅員からの卒業生へのメッセージが張られていたというほっこり記事を2つ読んだ。
どちらも手書き。
字の上手下手なんて関係ない。
入学式より卒業式の方が、記憶に残りやすい。
さあこれからだ より、
これでおしまい って、記憶にとどめたくなる。
失われてしまうから。
寂しいけど、でもそれは、
学校生活が楽しかった証だね。
中にはそれが苦痛だったから、解放感を持つ人もいるのかもしれない。
私の親は転勤族で、小学校は4つ通った。
卒業する学校で、『巣立ちの言葉』のソロを決める時
友だちと一緒に立候補した。
今は、すべての子どもに一言ずつソロ言葉があるようだが、
何せ私は団塊ジュニア、一クラスの人数が多けりゃ一学年のクラス数も多いので、
全員が一言ずつ言ってたら、卒業式がとんでもない長丁場になってしまう。
だから、ソロの限られたセリフは各クラス何名かしか言えなかったのだ。
で、その何名かに立候補して、
競争もなくすんなり決まったはいいが、
どのセリフになるかは先生の采配で、自分たちで選べなかった。
果たして台本が全員に配られて、
『巣立ちの言葉』の練習が始まった。
「晴れやかな、三月」
「桜のつぼみもふくらみ」
「喜びと、希望に満ちた」
「卒業の日!」
「(全員で)そつぎょーのひー」
で進んで行き、私にあてがわれたセリフは
「楽しかった 森林公園」
・・・森林公園? 行ってないよ。
友だちに聞くと、「2年生の遠足で行った。」
5年生で転校してきた私が行ってるはずもない。
かくして私は卒業式で、
己が経験していない遠足の思い出を、大声で保護者に伝えなければならなかった。
先生もいちいち配慮してられなかったんだろう。
生徒は多いし、さらに転勤族の親は今よりずっと多かったし。
その後、中学高校などの卒業式を思い返すと、
泣いた記憶がない。
結構カラッとしてた気がする。
覚えてないだけで実際は泣いてたとしても、
たぶん数分程度じゃないかな。
中学校では入学式と卒業式に、ヘンデルの『ハレルヤ・コーラス』を歌う伝統があって、
入学式では2年と3年だけだから響きが今ひとつなのだが、
(だから1年生は入学後の音楽の時間に、まず『ハレルヤ・コーラス』の長い長い練習があって、全部歌えるまでに一学期中かかる。カタカナ振るけど一応原語だし)
卒業式では3学年が一斉に歌うから、
体育館に響き渡る歌声に、悲しくなくても感極まってしまう魔法がかかった。
伴奏が吹奏楽部で、彼らも先輩を送る気持ちが盛り上がるから、普段の2割増しで音が力強いんだ。
否応なしさ。音楽ってすごいなー。
卒業式の後の春休みって、たいてい長いんだよね。
羽を伸ばすのはいいことだけど、
羽目をはずさないようにお気を付けあそばせ。
ご卒業の方 おめでとうございます。