漁樵の間を出て、次に入ったのは草丘の間。
礒部草丘が、格天井の草花絵と欄間の広々とした風景画を描いた部屋だ。実際、部屋が広い。
先ほどの漁樵の間が濃すぎて、急にサッパリした印象だったが、障子の細工がさりげなく見事。面腰組子というらしい。
個人的には、谷間から昇る虹の絵がすてきでいいと思うな。日本画で虹ってそんなに見てないんで。
階段を上って、次に静水の間。
これも橋本静水という画家の名前だが、この部屋の絵は3名が手がけている。
奥の間の格天井は池上秀畝、四方の欄間は小山大月で、手前の部屋が橋本静水によるものとのこと。
最も天井の低い間だというが、てことは格天井の絵が近く見えるのだが、なぜか圧迫感はない。
むしろ、鳥の絵はこれまでの部屋にもたくさんあったのに、奥の間の天井に描かれた鶴のかわい美しさに、思わずキュンときた私♪
近くでよく見えたからかなあ。
それからおもしろかったのは、食事風景の再現。
丸くどっしりとした座卓は、いわゆる中華テーブルになってて、2段目の盤が回る仕組みになっているらしい。
供していたのは北京料理と日本料理だという。
テーブルの上にも、金色の食器やら魚の姿揚げのサンプルやら、龍と鳳凰が向き合った雅叙園のシンボルマークが線彫りされた銀の入れ物やらが並び、
その向こうの障子には、箱膳を重ねて運ぶ日本髪の女性の姿が影で浮かんでいた。
どこもそうだが、裏方は忙しいなんてもんじゃないよね。
しかし料理と食器の豪華さ、これ婚礼の宴席での食事なのかな。
あと、当時の新聞広告とか、宿泊や料理の料金表とか、結婚式のご案内とか、展示されてたのはこの部屋だったっけか。
「これ今だったらいくらぐらいだろう?」
「✕10くらいじゃない?」
なんて同行者と話したが、文面の文字がどれも小さくて、そこに経年劣化で少し薄くなってるから読みづらいこと。
昔の人って目がよかったんだわねえ。
廊下から横並びで星光の間。
こちらは天井も欄間もすべて板倉星光の草花絵。
もちろん絵も美しいが、特筆すべきは丸太。
床柱は無論のこと、四隅の角柱から長押に至るまで
角材ではなく丸太を使って組んでいるのだ。
また、こちらの障子も精巧な美しい組子で、感嘆するより他ない。
そして階段を上り、清方の間。鏑木清方だね。
おお、あの鏑木清方 と思うも、名前を知ってるだけでどんな作品を描いたかは、えー・・・。
入ったら、欄間に美人だらけ。はい、美人画の大家でした。
二間のこの部屋では、まず天井が見どころ。
帯状の薄い木材を互い違いに織った網代(あじろ)天井が二間とも張られており、その上(この場合、下?)に天井画が描かれた板を張っている。
ただ、素材が落ちるのか、極細糸のネットもかかっていた。といっても、鑑賞の妨げにならないのはさすが。
本間には、広い座卓を挟んで座椅子&脇息が向かい合わせに置かれてて、どうやら座っていいらしい。
そんなん座るでしょうよ。座布団フカフカだし。
他のお客さんの様子をお互いに見ながら順番に、
旅客気分でおくつろぎ〜〜♪
脇息にちょっともたれてみたり。えへへ。
そして、この本間の床柱がすごい。
天然杉のぶっとい総丸太は、当時の価格で家3軒分。あばら家じゃないぞ。普通の家だぞ。
ここまでも、相当惜しみなく財を注ぎ込んでいるのが分かったけど、
逸材と見るや即決で手に入れるって、どんだけの資金力だよ。
破格っぷりに再びのクラクラ。
そしてついに、頂上の間。
こちらはタイルカーペットが敷き詰めてあり、
現代のアート作家とのコラボレーションイラストパネルが展示されていた。
あとはクリスマスの時期らしく、壺に飾られた金銀の枝っぽいオブジェも。
奥の本間にはモニターとイスがあり、雅叙園についての歴史紹介ムービーを流していた。
このモニターが床の間に据えられていたのだが、
画面の周囲を掛け軸の表装仕立てにしてるもんだから、機械が入っている違和感が一切ない。
抜かりない、なさ過ぎるぞ 雅叙園!
ところで、このムービーでも昔の写真でも、トイレがとにかく豪華という話があり、
小川が流れて赤い欄干の小さな橋が架かってて大岩がドーン、みたいなトイレなのだが、
百段階段のトイレはさっき見て、でも広かったけど豪華ではなかったし、写真とはまるで違うし、
それはもうないのかも。残念。
これまでの部屋では、人が多く出入りするから床に座って休んだりできなかったのだが、
頂上の間では、広さとカーペットのおかげで、やっと床に直座りして足と腰を休めることができた。
「上るとわりと、「え、もう?」って思うけど、やっぱり足腰は疲れてるね〜」
と同行者とうなずき合う。99段上ったんだもんね。
え、99段?百段じゃないの?
ないの。
未完の美か、最大奇数を並べた縁起担ぎか、はて。
怪談の百物語も99話で終わらせるわね。
各部屋の出入口には、屋内屋のように屋根の先っちょが作り付けられていたり、
屋内窓の形が花頭窓のように抜かれていたり、
部屋がなくなり(焼失したんだっけな?)そこに入るための階段だけが数段残っていたり、
廊下の電灯を壁から支える木材にも透かし彫りが施されていたり、
部屋の前を囲む廊下には、橋の欄干のような低い柵が作られ、その柱1本1本の根元の両脇に広がるように、波と鯛の木彫り装飾があったり、と
とにかく手の掛け方が徹底してる。
部屋の中だけ芸術空間にしよう、ではないのだ。
実用性を損なわずに建物丸ごと芸術だ。
床の間や柱で漆の塗り方の技法が違うよーという解説板がどこかの部屋にあり、行っては戻りして見比べたりもした。
伝統技法も、暮らしから離れてしまい、教養として見るようになってしまったな。
惜しむらくは、庭。
今も坪庭のようなものは見られるが、かつては広大な庭があったらしいから、窓からはそこの景色も楽しめたろう。
さらに池などの水場があったなら、水音で耳も楽しそうだな。そりゃぜいたくだ。
階段を下りて、ミュージアムショップの品ぞろえを同行者と楽しみ、
曲がったスロープを上って、靴を履いた。
美を楽しんだだけのはずなのに、情報が多くて頭の処理が追い付かないねー と話しながら、
エレベーターで1階へ。
最初のエントランスに戻り、百段階段の見学はこれで終了したのだが、
雅叙園はまだ終わらせなかった。
続く