綴ルンです

思ったことを綴っただけさ

しなくなったゆーか

新聞読んでたら新刊の紹介があってさ、

日本人が観光しなくなったって論じたものらしいんだけどさ、

本を読んでなくて新聞記事を読んだだけだけどさ、

 

する人はしてるし しない人はしないってことでは?

前っからそうでは?

 

パスポート取得率が2割切ったからって、今年2026年7月から取得手数料を7000円も大幅値下げしたね。

でもパスポート取ることと、それで海外行く気になるかはまた別だよね。

 

今こんだけ世界中の情報がすぐに手に入れられてさ

他の国の人の話も聞けてさ、

相対的に日本の便利さと清潔さと安全性がとても高いと知ったらば、

わざわざ海外行かんでもと思っちゃうでしょ。

 

それと今、円安でしょ。

海外で何か買ったらお金の減り方パないでしょ。

 

じゃあ国内旅行でも、たってさ、

どこ行ったってインバウンド溢れてて、

落ち着いて過ごせなさそうなのと、インバウンド価格に巻き込まれそうなのと、

インバウンドには日本も日本人も舐め腐ったマナーが◯ソ悪いヤツらも少なくないから、そんなん見てせっかくの旅行先で胸ク◯悪くなるのもやだよ。

神社で踊り出すヤツらとか、鳥居にぶら下がるヤツとか、浅草寺の参道のど真ん中で太極拳始めるヤツとか、それを撮影するヤツとか、黙って後ろから蹴たぐっていいか?マジ蹴りは暴行になるから膝カックンで勘弁してやるわ。

 

そんでどこでも行く以前にさ、

物価ばっかりスパンスパン上がって、給料上がったって税金と社会保険料の額も割合分上がるから天引き額も上がって、つまり差し引きの手取りは大して増えなくて、暮らすための各インフラの料金も上がる一方で、

将来のために投資しろだの多少貯金もしとけだの、

完全に自由にできるお金、どれだけ残せる?

よっぽど観光が好きでもなけりゃそっちにお金使わなくない?

推し活、フェスやライブ、旅行以外のいろんな趣味、習い事、人によっては副業の経費、自分を充実させる方法はそれぞれじゃん。

それやった上で観光は、お金も時間もキツかろう。

 

観光を否定してないよ。私は好きな方だよ。

海外で異文化を実感するのも楽しいよ。外に出ないと気付かない日本の姿は確かにあるよ。

けど今の日本ってたぶん、ホテルに例えるならオールインクルーシブでいられるんだよ。比較的安心安全清潔な、外に出ずとも過ごせる場所。

その国内でも、大量のインバウンドにゲンナリで。

そして、経済的な理由。かつての一億総中流時代のような余裕を誰もが持ってるわけじゃない。むしろジリ貧化している今の社会。

国内の某テーマパークは、「夢の国」から「お金があれば夢の国」になった。

 

日本人が特に海外の観光に行かなくなったのは、果たして意識の問題だけか?

日常から離れたくないのではない。離れられるゆとりがない。

そうしたのは、一体誰だよ?

 

あ、本や著者を批判してるんじゃないっす。

だって読んでないから批評のしようがない。

昔ほどなかなか観光に行けなくて、ここ数年くすぶってた文句を、晒すきっかけになっただけっす。

もし本の中ですでに論じられてたら、著者の方すみません

と先に謝っとこ。

起きた事実は謎のまま

迷宮入りした事件の解決も望むが、

昨日のブログに関連することで。

tsuduriko.hatenablog.com

の、霊視検証についてだ。

 

歴史や土地の事実を霊視で検証する企画を最初に読んだのは、隔月刊のマンガ雑誌『本当にあった怖い話(現 HONKOWA)』である。

「闇の検証」という企画で、霊能者が歴史上の人物の様子やいわく付きの土地の由来などを霊視し、編集者が文献などと付き合わせて文を書いている。

初回は改修前の将門公の首塚だったような。単行本しまい込んじゃって確かめられないんだよね。

 

で、そのうち本能寺の変についても取り上げて。

その回は霊能者2人での霊視。気になる織田信長の最期について、信長は明智光秀が攻めてきたとは知らなかったし、急に襲ってきた敵に立ち向かってる時に死んだ感じ、と話していた。

 

そしたら最近、こちらも霊能者である桜井識子氏が本を出し、中で本能寺の変について取り上げてて。

安土城跡で信長から聞いたというその最期は、光秀が攻めてきたと知ってたし、覚悟を決めて自らを決したやり方も書かれていた(あんま詳しく書くと著作権侵害になっちゃうよね)。

 

全然違うじゃん。

 

どちらが本当かは、知りようがない。

ただ、霊視はすべての能力者が同じものを感受するわけではなく、人によってこんなにも見え方感じ方が異なる、と知るにはいい例だなと思った1件だ。

それを踏まえて、霊視検証ものを楽しんでいる。

だっておもしろいんだもん。

にしても、『霊査の古代史』シリーズは検証が綿密で他とは一線を画すかな、と。

 

ちょっと話は変わるが、シリーズを読んで、とても思ってることがある。

古代史で言われる「空白の4世紀」。

失わせたのは、持統天皇―藤原不比等ラインでは?

シリーズではまだその代の全然手前の歴史を扱っていてまったく触れてない。にも関わらずそう思う。

根拠はあるようなないような。

所詮謎だからさ。

疑わなかったことを疑う

陰謀論やら都市伝説的やら真の目的やら宇宙対戦やら神のお告げやら、

「実は自分は知っている」系の発信の多いこと。

根拠があるものもあろう。記録が見つかったとか、証言されたとか。或いは記憶や霊視の類。

嫌いじゃないから否定しない。

そうかもしれないとも思いつつ一定の距離は取る。

 

ところで先日、ずっと読んでるシリーズ本の、待ちに待ってた新刊が出た。

日本の古代の状況を霊視で明らかにする『霊査の古代史』シリーズで、下のリブログの最初の項目のものだ。

tsuduriko.hatenablog.com

それこそ霊視なんて曖昧であやふやで、いいかげんなことを言ってても確かめようがない、と思われるだろうが、審神者(さにわ)にあたる文筆家で神秘研究家の不二龍彦氏の、関連文献の渉猟具合が並外れている。霊視内容を鵜呑みにせず、細かく根拠の照合をして、合理的な結論を出しているのだ。

この不二氏の姿勢が明確なため、シリーズの信憑性は私の中で高い。

シリーズはますます深度を増しており、されどまだ途上でありネタバレになるため詳細な感想は書けないが、つくづく思ったことがある。

 

『古事記』と『日本書紀』がまったく正しいと、なぜ思い込んでいたのだろう。

 

戦時中の大本営発表然り、今この時間にも報じられてるニュースの出来事然り、報じられ方然り、

表に出された事柄は、表の面でしかないのに。

 

疑うことを考えもしなかったことにこそ目を向けて疑ってみる。

たとえ土台であっても、というか土台ならなおさらだ。それを元にどんなに思考を巡らせたところで、水で固めた砂の上に鉄筋コンクリート造りを建てることになりかねない(つまり砂上の楼閣)。

信じるのがあまりに当たり前なことは、それだけで盲点になり得る。

今回の新刊には、改めてそれを教えてもらった。

なおこの本、幸か不幸か読んでいる人は多くなさそう。正に「実は自分は知っている」になっている。むしろ知られていないのがもったいなく感じるけど、世に知られることと受け入れられることは違うからなあ。今はそれぐらいでいいのかもな。

 

冒頭に挙げたあれこれは、当たり前に信じることではないものばかりで、現時点でエンタメ。

嫌いじゃないと書きつつ見てる私だよ。なんそれ。

 

☆ ブログでは初めてのちょっと宣伝 ☆

9月19日(土)にイベント出ます。

『第6回ぶち癒しフェスタin東京』10:30〜16:30

東京都立産業貿易センター台東館 6階

(浅草寺・二天門のすぐ近くです)

入場無料!

ブースNo.103にて、タロット占いします。

鑑定料は 10分 1000円(延長5分ごとに500円)

 

これまでは何となく告知してこなかったのですが、ちょっと気が向いたのでしてみました。

物見遊山にでもどうぞ。

うわーあ鳥人間!

私にとっての夏の風物詩、鳥人間コンテスト。

放送日の確認をうっかり忘れて、テレビつけたら放送開始1時間後だった。うわーあ!

ところが今年は放送時間が1時間伸びて、3時間スペシャルだった。ちょっと救われた気分。見逃した1時間はTVerだな。

1時間伸びたからって全チームの飛行をみっちりやるわけではないだろうけど(始めの1時間見逃しているので推定)、過去の映像や一部チームの舞台裏密着なども前より加わっておもしろい。

そして今年はプラットホーム建設中に、作業員の落下事故があり、傷ましい事故だったので開催されるか少々心配だったが、開催されてよかったー。

では見たチームの感想を部門別に。

 

▶ 滑空機部門

優勝 東京理科大学 鳥人間サークル鳥科 442.99m

(2位、3位は未視聴)

機体・押し出し・パイロットの3つがバッチリ決まった滑らかな滑空だった。言うことなし!

 

☆ THE BEST BIRDMAN賞(審査員特別賞)

京都工芸繊維大学 きっと、Flyers 204.08m

お金が無くて他チームのお下がりを機体に使用し、節約に節約を重ねて制作費を抑えた大学。しかしつぎはぎとは分からないきれいな機体。代表の一途な思いがチームを1つにし、初出場ながら大きな記録を出した。これを機に、来年は大学から少し補助をもらえるといいね。

 

それとこちらも初出場、秀才高校生チームのSOARAは結果こそ残念だったが、ものづくりの手応えをこの先の人生に活かしてくれよ、と何となく保護者目線になっちったぜ。

 

なお、途中で強風が収まらないため、7チーム残して競技中断。うわーあああ!

安全のためとはいえ、言葉にならない悔しさだろう。特に今年が最後の大学生は。

全チームとも、ぜひ来年帰ってきてほしい。

 

▶ 人力プロペラ機部門

優勝 大阪工科大学 人力飛行機の会 24671.48m

東京科学大学 Meister 22722.17m

大阪大学 飛行機製作研究会albatross 15637.86m

 

記録こそ差が出てるけど、どこが優勝してもおかしくないと思った。

同じ日テレの『アメリカ横断ウルトラクイズ』が「知力・体力・時の運」なら、人力プロペラ機部門は「体力・筋力・天気の運」で、気温や風向きや風の強さにものすごく左右される。流されたり向かい風だったりでいたずらに体力を消耗するとか。

それでもあきらめずにコースを修正して、折り返し地点でパイロンをうまく旋回する技術のある3チームが上位になった感じ。まあ毎年そうか。

優勝した大工大は一枚プロペラという珍しい機体。一枚であんなに飛べるんだという驚きをくれた。

 

なお優勝の最有力候補で鳥コンの常連、強豪の東北大学Windnautsは、飛行禁止区域に進入したため、まさかの失格。うわーあ!

 

どうしても学生の参加が多くなる鳥人間。若いっていいなあ熱いなあ、見てると思わずもらい泣きよ。

にしてもパイロットのナビゲーターとしてモーターボートに乗ってた女の子のネイルがバッチリで、うわあ爪長くして参加するんかい今時の子だなあって思ったのも、しみじみ時代を感じましたことよ。

 

あと日テレに言いたい。

放送時間が2時間なんて短過ぎるとかねがね言っていたので、3時間になり多くのチームの飛行を見られたのは視聴者としてうれしい。枠をありがとう。

けど、ここにまで名探偵コナン出す?24時間テレビのチャリTシャツといい(2年連続だから今後ずっとコナンじゃね?)、ちょっと日テレはコナンに寄りかかり過ぎだよ。てか鳥人間にコナンはいらん。

嫌いなんじゃないからね。必要性皆無てことで。

来年は外してくれえ。

 

追記:神社仏閣同行者より、「先週と今週の『名探偵コナン』は「鳥人間コンテスト爆破事件(前後編)」です」とお知らせいただいた。

だからかー。

てかやめて。鳥コンで事件起こさせんな。

この夏、特に今月の

丙午という火の象意が重なった今年の干支。

夏はどんなことになるだろうと思っていたら、

8月は激しい水害に5度も見舞われた。

13日は千葉で豪雨、

25・26日は鹿児島の奄美地方と沖縄に台風18号が直撃して豪雨、

27日は石川・富山で豪雨、

28日は北海道の釧路地方で豪雨、

今日30日は福井で豪雨。

内水氾濫、河川の氾濫、土砂災害で、それぞれの地域が大変なことになっている。

福井は2008年(平成16年)7月にも豪雨災害があったとネットに出ていた。

この北陸3県辺りは今年の1月に、JPCZ(日本海寒気団収束帯)により凄まじい豪雪だったのに、

夏は夏で豪雨に見舞われるなんて。

他にも大雨は秋田にも降ったり、日本横断の逆走台風も来たりで、

火どころか、水に覆われる印象の強いこの夏だ。

 

とはいえ、西日本の特に九州は猛暑に次ぐ猛暑、ほぼ酷暑続き!

先月大地震のあった熊本は、連日35℃超えの日々。

こちらはあまり雨が降らず、渇水の水不足が深刻。

こんな狭い国で、この極端さは何だろう。

以前ブログで、「(今年の夏は)東と西で夏の様子が違いそうな予感がする」と書いた。

tsuduriko.hatenablog.com

↑ (これの終わりの方)

東にも暑い日はあったし、これからもあるみたいだけど、全体の傾向としては東が涼しめで西が暑く、まあまあそんな感じになってビックリだ。特にお盆前とここ数日、関東は涼しくて過ごしやすかった。

これは蛇行した偏西風が、ちょうど本州を分けるように吹いていたかららしい。

 

偏西風がヨーロッパに極端な熱波をもたらし、

日本には炎暑と水害を同時にもたらした。

北半球の暑さと乾燥は、世界的に山林火災を引き起こしてもいる。

スーパーエルニーニョの予測は当たったのかな。

水害で加えるなら、26日にネパールと中国チベット自治区の国境で起きた、とんでもない土石流災害もだ。AI画像であってほしいくらいの、想像を絶する規模の、環境系パニック映画でもここまでするかというほどの。

じわじわと蓄積されて、急に放たれる。

それを見せつけられたような、今月の夏だった。

 

追記(8/31):アメリカ・グランドキャニオンで現地時間30日に、大雨による鉄砲水→洪水が発生。

火と水がここにも同時に来た。

天台宗のお膝元に真言宗のお宝集結 5

tsuduriko.hatenablog.com

数々の仏教美術の美しさと技術の粋に、すっかり頭がグルグルしてしまったその時、

急に視界が開けた。

最後の展示室は、天井の高い大きな空間をたっぷり使っての作品展示。しかも写真撮影OK!

みんなベストショットを狙って留まりつつ、撮れたら素早く場所を譲りつつして、人は多いが静かで穏やかな空気に満ちていた。

そうよね仏様の前だもんね、舌打ちにすら罪悪感抱きそうだ。

 

そんな展示室で最初に迎えてくださったのは、

● 愛染明王坐像(山梨・放光寺)

こちらは天弓愛染明王。弓を持ち、天に向けて矢をつがえる天弓愛染としては、現存最古とのこと。何かの経典に書かれた「衆星の光を射るが如し」お姿を表したという。が、それは後から調べて知ったことで、見た瞬間は「わー日本のキューピッドだー」が素直な感想。え、違うの?

弓矢をそんなに高く上げてないので、矢と手がかなり顔の前にある。矢の先は尖らず、開き切らない双葉のようだ。微妙にハートに見えなくもない。

憤怒相だけど、失礼ながらなぜかどこかかわいらしい。なぜだろうと写真を眺めてて気が付いた。向かって左側の手に蓮の花を持っていて、その手が実に優しげなのだ。顔とのギャップは蓮の花の勝ちだな。それと、6本の腕や体躯がスッキリと作られているせいもあろう。なお五鈷鈴を持つ仏像は初めて見た。他にいるのかな。

 

そして、展示室のほとんどを占めていたのは、

● 五智如来坐像(京都・安祥寺)

五智如来、という名の仏像が1体あるのではなく、5体の仏像が一組で五智如来である。如来の種類(といっていいのかな)は、・大日如来・阿弥陀如来・阿閦(あしゅく)如来・宝生如来・不空成就如来。花弁が4段もある蓮華台に座られ、最も大きい大日如来の像高は158.6cm。てのは、他の4如来は螺髪なのに大日如来は高く結い上げられた髻なんだもの、それは一番背が高くなるわ。まあ全体的に他の如来像より若干大きい感じはするんだけど。それでも他の像も150cmはあるだろう。坐像でその高さなのだから、横幅や奥行きも含めた像全体の大きさはなかなかのもの。それが5体もいて、間をゆったり取るのだから、広い展示室が必要になるわけだ。

体躯はみっちりとして、後ろから見ると腰の辺りの肉付きが妙に人間ぽい。厚みのある存在感。4如来様はすごく王道の「THE 仏」な感じ。どの如来様もお顔の金色はよく残っている。展示は後ろ側も通路にしていて、人によっては一周して見ていた。2度目に行った時に一緒のスピ友さんは「後ろ側から見られるなんてなかなかない」と楽しんでいたよう。確かに。光背もなくてレアな後ろ姿はありがたい。

 

スコンと広い展示室と大きな五智如来坐像のおかげか、グルグルしてた頭は少し落ち着いた。

そして鑑賞終了。

いやあ、濃ゆ〜い時間だったわあ。

 

他にも「後七日御修法(ごしちにちみしほ)」という秘儀の行い方を図や手引書で説明している文書とか

密教の修行の1つである求聞持法(ぐもんじほう)のやり方とか、

こんなの公開して、もし読める人がいたらまずくない?と思うような巻物を惜し気もなく出しているのに驚いた。

展示以外の関連部分では不満がないわけじゃなかったけど(特設の、グッズを買えるアレですな)、

展示の内容があまりにあまりに素晴らしかったので、東博への感謝に代えて引っ込めよう。

 

先人職人たちの仕事と信仰の力に敬意を表して

ありがとうございました。

天台宗のお膝元に真言宗のお宝集結 4

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作品の感想が続いております。

同名の像が全国に数多ある作品については、所蔵を書き添えます。

 

● 千手観音菩薩立像(和歌山・金剛三昧院)

より正確には、十一面千手観音菩薩立像だ。小ぶりといえる大きさは、像高30〜40cmくらいだろうか。その頭上の一段上の仏頭の存在感よ。腕は36臂。つまり上半身にたくさん盛り込まれてる。そのせいかこちらも全体を眺めれば、上体に比べ下半身が短く細めでバランスが悪い。

しかし目はどうしても作りのよい千手それぞれや十一面に向かうので、バランスの悪さなど何のその。細い手指の1本1本まで滑らかですべすべしていて、持ち物も丁寧に作られて見ていて楽しい。

そんな中で私は見つけてしまった。向かって左側に未完成な手があるのを。それも隣り合って2本も。指にヤスリをかけておらず、輪郭がゴツッとしてたのだ。こんなギリギリまで彫ってから形と表面を整えるんだな、と制作の一端を垣間見せてもらった。

後で金剛三昧院のホームページを見て、こちらが秘仏だと知った。そうでしたか。

 

それと、観菩提寺の十一面観音菩薩立像もそうなのだが、せっかくなら真後ろの大笑面(または暴悪大笑面)まで見たいなあ。両像とも照明の陰になっちゃって、どんなお顔なのか分からなかったのは残念だった。

 

● 厨子入十一面観音菩薩立像(京都・泉涌寺)

  香木片 銘「蘭奢待」(京都・泉涌寺)

こちらはセット。皇女和宮の私物とのこと。両方を入れる厨子は、御帳に朱と金の刺繍布(緞子(どんす)?)が掛けられてきらびやか。蘭奢待は爪楊枝の先くらいの大きさの木片で長短4つ並べられていた。直に嗅いでみたいなあ。くしゃみしたら吹き飛びそうだな。にしてもさすが皇女様、蘭奢待をお持ちとは。

そして十一面観音菩薩は内側が金色の厨子の中なのだが、その厨子を入れる厨子も別にあって、まるで厨子マトリョーシカ。金色の厨子が手のひらサイズの小ささだから、観音様はもっと小さい。十一面観音と言われれば確かにと思うほど。てかこの大きさでよく十一面観音を彫ったよね。光背まであるんだよ、丁寧に作られてて。金色の両扉内側には仏様の姿が一体ずつ描かれており(どの仏様かまでは覚えていないが、ネットの写真によると片方はお不動様のよう)、毛が3本の筆で描いたのかと思うほど極細の線と、美しく鮮やかな色彩が印象的だった。

 

● 薬師如来坐像(京都・仁和寺)

ここまでずいぶん細かな技巧の作品を見てきたよ。制作過程を想像するだけで気の遠くなるような思いだったよ。それがここに来て、絶句。

人間技ですか?

像は素木。台座に乗った薬師如来坐像は、台と光背を含めた高さが約25cm。幅はたぶん約13cm、像高のうち台座の高さはたぶん約8cm、如来本体の高さはたぶん約13cm。たぶんてのは総像高以外はパンフレット写真からの推定だから。小ぶりも小ぶりだ。

薬師如来の後ろには四角い壁があり、壁と如来の間、如来の頭の後ろに丸い光背。まず壁、如来の両脇には脇侍の浮彫りがある。薬師如来なら日光菩薩と月光菩薩だね。そして光背、如来の頭を囲むようにミニミニ仏様坐像の浮彫りが7体。浮彫りなのだが後から張り付けたんじゃと思うほど出っ張ってる。

薬師如来は螺髪の一つ一つも明確に彫られ、衣の柔らかな襞の線に優しさを宿す。その衣にはビッシリと、截金細工でミクロンな模様が施されているではないか!よく見ると光背の仏様たちの周りにも金の点が散りばめられている。えええ!?

ここで像の大きさをおさらい。全体がすでにちっちゃいんですよ!

次に台座は二段構造で、像全体を支える部分と、その上に太い角柱のように薬師如来の座壇を支える部分に分かれている。

この角柱の各面に3体ずつ、薬師如来を護衛する十二神将が彫られているのだ!

各面の大きさは推定約4cm✕約6.5cm。そこに甲冑を着け、剣だの槍だの弓矢だの三鈷杵だのを持つ姿を3体ずつ彫ってる。しかもしかも、それら武器の太さはもはや針なのに、折れることなく独立させて彫り上げている!ええええどういうことー!!

加えて十二神将のところにも金の点を散りばめ。

もっかい書くけどこの像全体的にちっちゃいんですよ!!どうやってー!?

制作過程の想像、私には不可能。

この超絶技巧な彫刻は、円勢・長円という2人の作とのこと。どっちが何をどうしたのかなんてこの際どうでもいい。2人ともどうかしてる(褒めてます)。

展示にあたって東博に感謝したいのは、薬師如来の部分と十二神将の各面の部分の拡大写真をパネルで掲示してくれたこと。肉眼では見えづらかったり、照明の陰になってしまってよく分からなかったりしたところが、拡大写真によってハッキリと分かる。パネルを見てから再び実物を見ることで、あまりの彫り技にまたもや絶句するしかない、その繰り返しだった。

余談だが、十二神将の拡大写真がおいしそうで笑っちゃった。てのも素木だから薄茶色でしょ、ちょっと出っ張ったところの色が濃いめの茶色になってて、焦げ目のついた造形パンとかクッキーとかっぽく見えちゃって。十二神将のお顔も実物の小ささのせいか、どこかコミカルな表情でほほえましかったし。でも十二神将って本当はとても怖いらしい。

 

感想に熱が入って長くなった。3つ分しか書いてないのに。終わらんららん♪

あと1回で終わらせよう。

 

続く

天台宗のお膝元に真言宗のお宝集結 3

tsuduriko.hatenablog.com

前置き省略どんどん行こう。()内は所蔵。同名の像が全国に数多あるので区別のために添えます。

 

● 不動明王坐像(京都・醍醐寺)

さほど大きくないお像は彩色が鮮やかに残りほころびがない。赤い肌をして剣と羂索((けんさく)縄、色がもろトラロープ)を持ち、1つにまとめた髪を肩の前に垂らして、首をやや斜め方向に向けて睨んでいる。わずかに額に寄るシワ、グッと引くも歯がのぞく口元、強い光を湛える玉眼。光背の炎は頭上でせり出してくる。光背とは別に火焔を彫った板を、立体的に見えるように浮かせて取り付けてるのだ。元祖3Dか?でもってこれも快慶の作かい!荒ぶる仏の表現が素晴らしいな。

荒ぶる仏と限定したのは、不動明王坐像の隣にあった金剛薩埵(こんごうさった)坐像がてろんとしてて「はい仏」としか言いようがなかったからだ。作風全然違うわー。同一人物?

 

● 厨子入五大明王像

制作されたのは江戸時代、って3Dプリンターないよねえ?木彫り?全部?小さくて細かい髪も手も足も持ち物も火焔光背も、本当に木を彫ったの!?しかも5体も!5体とも厨子のの中に入っている状態で、厨子の扉を開いて展示されていた。厨子の大きさは、そうねピクニックバスケットくらいかもうちょい大きいかな。そこに、5体も入るということは、それだけ各像が小さいということだ。

二間観音が精緻の極致なら、こちらは緻密の極致だ。ひたすら細かい。ただでさえミニチュアっていくらでも眺めてられるんだから、どこもかしこもこんな緻密な仏像なんて見ても見ても見飽きない。色塗りも完璧で、はみ出し・塗り残し一切なし。もちろん造形の破綻も皆無。繰り返すがこれを5体も。そこら辺のフィギュアはちょっとこれ見習いなさい!

何より衝撃なのは、作者の湛海。僧侶 兼 仏師は他にもいたにしても、この五大明王像を制作したのは齢73の年。73歳って!!体力もだけど老眼は!老眼、来なかったんだろうなあ、そこはいいなあ。

 

● 十一面観音菩薩立像(兵庫・須磨寺)

こちらもそんなに大きくはなく、細身のお像。彫りが細かく飾りも細かく何とも優美。光背は他像からの転用と解説にあったが、どうしてどうしてあつらえたとしか思えないほどピッタリだ。光背は全体に流麗な透かし彫りが入り、何か所かに仏様が彫られ・・・羽のある仏様・・・体半分と足が鳥チックな・・・ハーピーじゃん。へえー!珍しい!

浮かんだ単語はハーピーだったが仏教的には迦陵頻伽(かりょうびんが)といい、半人半鳥の極楽浄土に棲む霊鳥だ。実物を見られるとは思わんかった。

 

● 如意輪観音菩薩坐像(大阪・大門寺)

神社仏閣同行者がいたく感銘を受けていたお像は、素木の木肌を感じられ、立て膝で座ってうつむき加減で頬杖をつく。鼻筋の通ったお顔はすっきりとしており、目と目の間は狭くも、どの角度から見てもなかなかイケてる。舟形の光背は、薄い板に模様が墨書き。

で、こちらは秘仏なのだけど、一目見てぶっちゃけ思ったのは「作りかけ?」

頭の正面に小さな仏様はいるが、その周りは宝冠らしくも髻らしくもなく、もしかしたら被せていた宝冠が外れてしまったのかもしれない。何より光背が墨書ってのがなあ。だったらいっそ無くてもよさそうな。でもセットなんだよね。

どんな経緯で秘仏として拝まれてきたのか、むしろそちらを知りたいと思ってしまった。

 

●十一面観音菩薩立像(三重・観菩提寺)

かの随筆家 白洲正子氏をして「もうほんと、頭下げるよりほかないみたいな、凄まじいものがあってね」と言わしめた秘仏。像高2mを超える一木造で、周囲の空気ごとドシッとした重厚感を漂わせる。正直に言えば頭と体の量感がアンバランスでちょっとおかしく、上半身に量感が偏る。観音菩薩には珍しい六臂(だいたいの観音様の手は2本か1000本見立てか)。お顔立ちは少しムッとしてるよう。横から全体を眺めると、わずかに前傾してるように感じる。

こちらは新聞・TVでよく取り上げられたお像。本来なら33年に一度のご開帳なのを、いわば叩き起こして来てもらったようなもの。

白洲正子氏ほどに厳かさを感じなかったのは、現地でみたわけでなく、撥遣(魂抜き)もされているからだろう。そしてこれは単なる想像だが、上半身に量感がありやや前傾してるため、お寺で拝んでいると、厨子からこちらへグッと迫ってくるような迫力を感じられたのではないだろうか。

初回は「何か無愛想な観音様だな」と思った。

2度目は「観音様だけど仏様(如来とか)でもあるのかな」と理由もなくふと思った。

観音様も大きく括れば仏様だけど、如来とはいる層が少し違う。悟りの進み具合で分けられるらしいが

なぜかこの十一面観音菩薩には、半分仏様だ と思った。まるで根拠なく。

 

作品リスト見て思い出しながら書いてたら、語りたい作品が湧いてきて困るわ。眠気も増して書き進まんし。

当然終わるわけもなく。

まだ続く

天台宗のお膝元に真言宗のお宝集結 2

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はい、では前置き省いてガシガシ行こう。

 

● 深沙大将立像

じんじゃだいしょう と読む。濁点だらけでいかめしい響きに違わず、ひときわ異彩を放つ異形の像。

逆巻く波の上に立つ深沙大将は、説明によると「護法の善神」だというが、どこからどう見ても、角のない鬼。恐ろしい形相で剥いた大きな目は素木なので、むしろ己の本性を見抜かれているような心地になる。クワッと開いた口には乱杭歯がのぞき、赤い彩色が所々残っているのがかえって一層恐怖を煽る。手足の爪は伸びて鋭く、隆々とした筋肉と逆立つ髪、翻る衣には勢いがあり、胸元には髑髏(と書いてしゃれこうべと読みたい)を6つも繋げて首飾りみたいに掛けている。お腹の真ん中には能面のような人面、そして両脚の膝が象の頭部だ。え、膝が象ってどういうこと?これがホントのひざこぞう?

加えて胸元の下向き髑髏、照明の関係で、見る位置によっては目が光って見えるのだ。ガクブルだ。

怖いんだけど表現の素晴らしさに目が離せない、そんな深沙大将立像の作者は快慶。

私はこれまで正直、運慶に比べて快慶は今ひとつなーと思っていた。その認識を根っから改めよう。おみそれしました!

なお、深沙大将立像と対をなすような 執金剛神立像 という像も隣にあり、そちらも快慶の作品なのだが、身体はシンプルで身に着けた飾りものもないせいか、深沙大将を見た後ではやや物足りなく感じるのであった。

 

● 高雄曼荼羅図像 胎蔵界

図像、て「この神仏はこう描くよ」を集めたものかなと勝手に解釈。たくさんの線描図がこれでもかと並び描かれている。その絵の美しいこと!描線の太さとリズムがどこまでも一定で、筆で描いたと思えない。線のかすれも継ぎ足しもない。サインペンだってぶれそうなもんだ。そんでこれを元にどこかの何かに仏画を描くなら彩色もするだろうこと前提で色塗りしやすそうな線描図でもある。大人の塗り絵で出したら売れるぞたぶん。

 

● 聖観音菩薩・梵天・帝釈天立像(二間観音)

(ふたまかんのん)と読む。かつての宮中儀式の本尊で、儀式の場所である清涼殿二間に由来。

これがもうもう、精緻 of 精緻!!中央の聖観音菩薩の像高が最も大きくて約25cm、両隣の2像が約21cmとのことで、つまり小さい。その小ささにどうやって作ったのと思うほどの微細な彫刻は、手指や衣服の襞をしっかり彫り込む。衣服に施された截金細工の文様は、重ねた衣の種類によって異なり、背面もおろそかにしない。そこに合わせる金属工芸は、聖観音菩薩の身の瓔珞((ようらく)玉飾り)に3像の宝冠と光背。光背なんて金属の細かなレースだ。もちろん彩色の残る台座も見逃せない。

そしてこの像のかそけき秘密。聖観音菩薩の宝冠と髻の間に、小さな小さな仏様がいるのだ。これは正面から肉眼ではなかなか見えない。視力7.0はないと。30年前のオスマン・サンコン氏並みじゃんムリだって。単眼鏡かポケットサイズの双眼鏡が必要。

NHK Eテレ『日曜美術館』で秘密を明かしたからか、ここだけ列に並んで順番に鑑賞するスタイルになっており、それも学芸員さんが「立ち止まらず歩いてご覧ください」と繰り返し呼びかけるので、作品の前にいられたのは誇張なく数秒程度。きっと返還前のパンダ見るより短い時間だったよ。

でも髻の前のミニミニ仏様は、真横から意地で確認したもんね と思いたい。

まあ実は、数秒鑑賞は2度目に行った時のことで、開幕直後に行った時は列などなく見たいだけ見られてあまりの細かさと美しさにため息もつきまくれたから、一度堪能済みであったのはありがたいこと。

にしてもこんなの作れちゃう人たちすごいな。

 

● 一字一仏法華経序品

いちじ いちぶつ ほけきょう じょぼん と読む。仏教って品をぼんと読むよね。

えーと、お経が書いてあって、その漢字一文字一文字の隣に仏様の坐像の絵が描かれているもの。文字の数=仏様の絵の数。しかも仏様、3色カラー。お経が書かれた料紙が黄色がかってるので、光背を白く塗っているのだ。服は朱と緑、蓮台は緑で3色。

て見ているだけで気が遠くなる。信仰力よのう。

 

● 金銅透彫舎利塔

麗しい金属工芸がここにも。フォルムは屋根の付いた円柱で、やんごとなき人の持ち物だったんじゃないかと思うほど、みっしりと何がしかの細工がある。鍛造金属の透かし彫りを周囲にぐるりと渡し、唐草模様ぽい中に花、正面下部には龍。台の部分の壁には獅子が、まるで輪になって走っているかのように塔を囲む。目を屋根に転じれば、6か所の軒先にかわいらしい風鐸が吊り下がり、中には残念ながら風鐸が取れてしまって、代わりに円盤が下がっているものも。屋根にも細かく細かく模様がつけられていて、屋根の頂点は火炎の形、その中央にはめ込まれている透明な玉は水晶なのか玻璃なのか。作品リストには材質が載っていなかった。

その火炎様&玉の取り付け台と屋根本体の間には、これまたぐるりとシャープペンの芯ほどの細い棒が2〜3mmの長さで刺さってる。驚いたのは、位置が横一列ではなく微妙に上下にずらされていること。ここに動きがあるので単調ではなくなり、まるで舎利塔から光が放たれているような効果をさりげなく感じられるのだ。ここまですんのか職人て。

取り出された舎利容器は蓮の花をかたどっており、入れられていたのは白っぽい粒やら黒っぽい粒やら

何でしょうこれ?

 

うーむ、まだまだ終わらんなあ。

続く

天台宗のお膝元に真言宗のお宝集結 1

てことで、東京・上野の東京国立博物館 平成館で2026年9月6日まで開催中の

弘法大師生誕1250年記念 特別展

『空海と真言の名宝』

に先日行った。実は2度目。

前回は神社仏閣同行者と行っており、下に貼り付けたブログの冒頭の企画展がそれ↓

tsuduriko.hatenablog.com

この時は開幕後すぐで予備知識もほとんどなく、混んではいたけど入るまでに並ぶこともなく、

展示物全体を好きなだけじっくりと眺められた。

それが今回は、入場規制により4列で並んで30分待ち、ある展示物では1列になって歩きながらの鑑賞となってたほど(詳しくは後に改めて)。

というのも、NHK Eテレ『日曜美術館』の「秘仏のひみつ」という回で、その展示物に施された技術の粋と、かそけき秘密が取り上げられたからだろう。

2度目となる今回は、初回の後におかわり鑑賞したくなったアレや、しまった見逃したかもと思ったコレを余さず拾うべく、オペラグラス持参で出陣したのだった。

なおオペラグラスは何の役にも立たなかったことを最初に書き添えておく。かえって遠くに見える!

 

2度行けたおかげで、前後期で展示替えしたものでもほぼすべて鑑賞できたのはおもしろかった。

1つだけ、国宝の十二天屏風が3点ずつ4期に渡り展示替えしたので、半分の鑑賞だ。

キャッチコピーが『至宝集結』というだけあって、国宝や重要文化財が9割を占める贅沢さ。そして何といっても見逃せないのは、現地に行ってもお目にかかれない秘仏が9件11点も公開されること。こんな機会、今後の人生であるか?

なんて胸躍らせながら2回も行ったに関わらず、帰ってから作品リストにどれが秘仏だったか印を付けたら、11体のうち6体しか分からんかった。あれー?

いいんだ とにかく見たんだい。

 

密教美術に感動しっぱなしな今回の特別展、展示の1つずつ感想を述べたいほど濃い時間であったが、

まあそうもいかないので、とりわけ深い感銘を受けた作品について、見た順に述べるとしよう(リストの作品No.と陳列順が異なるため)。

 

まず会場に入ってすぐにおわしたのは、

● 弘法大師坐像

これがいきなり秘仏。高野山の金剛峯寺・本坊持仏間本尊とのこと。

胸の前の右手に五鈷杵、膝に下げた左手には水晶の数珠。制作年代は江戸時代と比較的新しいが、佇まいに新しさを感じない(褒めてます)。江戸時代よりずーっと昔からいらしたような、半ば生きているような、不思議なお像だった。

 

では以下箇条書きで。

 

● 後宇多天皇宸翰御手印遺告

ごうだてんのう しんかん おていん ゆいごう と読む。作品名がもう読めねー。ここはAI先生に頼ると

後宇多天皇直筆の、手形を押した遺言 だって。

後宇多天皇、誰?と調べたら、後醍醐っちのパパだった(トモダチかよ)。8歳で即位、真言宗に深く帰依し、修行もしたらしい。

で手印とあるように、ズラズラ書かれた文字の上に朱色の手形が両手でペタリと押してあるのだ。両手を揃えたり離したりして、パッと見ランダムに。

手形って、とても実在感がある。しかも朱色て。そりゃ黒かったら下の文字が潰れて読めんがさ。

後宇多天皇という人がいたのだという生々しさが迫ってきた作品だった。

 

● 五大尊像

こちらはでっかい絵。五大尊とは五明王のことで、不動明王・降三世(ごうざんぜ)明王・軍荼利(ぐんだり)明王・大威徳明王・金剛夜叉明王である。

まー迫力。そんで怖い。大きさのせいもあるのか絵の中で炎とともに動いているよう。軍荼利明王は体の随所に蛇を巻きつけ、大威徳明王は唯一動物(牛)に乗っていた。どんな意味があるんだろ。

 

あと、十二天屏風の風天がイケオジならぬイケおじいだったのをオマケに書いて、

一旦ここまで。

続く

つらつら(神様と仏様)

SNSを見てたら、

東京・大手町にある平将門公の首塚の石碑に、どっかのバカがよじ登って抱きついてる写真が出てきて

コメント欄は「やべえ祟られるそ」の声が続々と寄せられてた。

バカがどんなに反省しようと祟られるのは自業自得なので何とも思わんが、

思えば神様は不敬に対して祟るよな。

これが仏様だと罰が当たる、だよな。

この違いは何だべ?

 

罰が当たるって、どこかに救いがある。懲らしめきらないというか、

「罪を憎んで人を憎まず」て感じだ。

けど祟りは、人そのものにかかって、破滅にまで追い込むような強さがある。

 

んで、この違いを自己流に考えたのは、

仏様はあの世とのお取り次ぎもしてくれるから、ご先祖様に免じてるところもあるのかな、とか

それに人の悪い心を炎で燃やす仏様もいるのだから、人の善性を見て改心を促すのかな、てこと。

対して神様はこの世のみ、人の行いのみで見ているから容赦ないのかな、と。

 

なんて、どうでしょね。

もちろん神様だって祟るばかりではなく、不敬の程度によって罰が当たる懲らしめもあるでしょう。

 

ちなみに私、神様の罰が当たったことがある。

子どもの頃、自分の家族と近所の家族で一緒にお出かけしたデパートの屋上にはお宮が鎮座していて、お宮の前の三方には何やら白いものが、山の形に高く積まれていた。

今でこそお塩だと知ってるが、子どもの私はそんなことを知らない。見た目では砂糖と塩の区別もついてない。

近所の友だちや自分の家族で「お砂糖かな、お塩かな」と話してるのを聞いた私は、舐めれば分かることだと思い、白いものをつまんで口に入れた。

しょっぱ。振り返って「お塩だよ」と言うと、みんな口々に「あーいけないんだー!罰が当たるよ!」

ひ、ひどい。砂糖か塩かの疑問を明かしてあげたのに と悪いことをしたと思わなかった私。

その数分後、屋上を小走りしてたら、雨上がりの水たまりに足をツルッと滑らせてステーンと尻もち!

「ほらー、さっきの罰が当たったー」と言われ、お宮の前に行って「ごめんなさい」と謝ったのだ。

今思い出してもあれは罰だったな。ほんの子どもだったから大目に見てもらえたようなもんだ。

 

罰当たりと叱られるうちはまだいいのかも。

本当に怖いのは叱られなくなった時だ。

子どもの頃に好きなことって

子どもの頃に好きだったあれこれ。

大人になっても好きが続いてる人や、

離れてたけど思い出して再挑戦する人、いいなって思う。

自分の好きを振り返ってみればさ。

動物が大好きでムツゴロウさんに憧れたけど、長じて動物にたくさん触れる機会を得た時に、そこまで動物好きじゃない自分に気が付いた。パンク町田氏なんてマジ尊敬しかない

し、

楽器演奏が好きで、子どもの頃は将来難曲を演奏する自分を思い描いていたのに、現実は人様に聞かせられるほどの技量も度胸もない

し、

本を読むのがとても大好きで、昔は本屋や図書館に何時間でもいられたのが、だんだん注意力散漫気味になり前ほど没頭できなくなってきて、読書から遠ざかりつつある

し、

少女マンガみたいな女の子の絵を描くのが楽しくてよく描いてたけど、顔ばかりで体を描けず、ちゃんと描けるようになるつもりもなく、いつしか顔もまともに描けなくなった

し、

木登り好きだったけど、もう腕も足も上がらん。仮にこれは行けるかもと思って取りかかったところで秒で引きずり下ろされる(年齢考ええ!と)

し、

ドラえもんが好きだったことは身内に言われるまで忘却の彼方だった

し、

好きじゃなくなってる枚挙にいとまがないったら。

今でも好きで続けてるものもあれど、好きの度合いは確かに下がってる。

子どもの頃の「好き」のまま大人になってる人に、熱量やときめきのエネルギー分けてほしいわ。

 

てことは、お悩み相談にある「これからの人生で何をしたらいいか分からない」の問いに対して、時々聞く一般的な助言の「子どもの頃に好きだったことをしてみてはどうでしょう」との答えは、

私にはちっとも当てはまらないのだった。

もっともそもそもそういう相談しないか。今はね。

最終的に地球

氏神様に参拝した。

なるべく月に一度は行きたくも、日がよくて気が向いた時に行くようにしてるもんで、かなり不定期参拝だ。

そろそろ夕方に近い午後だったからか、久しぶりに誰も訪れない貸し切り状態での参拝となった。

御神木の前のベンチに座ると、蝉時雨しか聞こえない。真夏日でもさほど暑さを感じなかったので、ゆっくりのんびり辺りを眺めていた。

ふと足元を見ると、大きめの蛾がボロボロの羽で死んでおり、小っこい蟻がわらわらと取りかかっている。彼らの何倍も大きな獲物を、さてどうやって巣まで運ぶのかな、としばし観察。

死骸は他の生き物の糧となるか、ならずとも放っておけば分解されて土に返るんだよな。それって地球上のすべての生き物がそうなんだよな。基本的にはもれなく人間も。と考えた時、

あー これって地球へのワンネスだ、それなら納得できる

と思ったのだ。

 

ワンネスとは「みーんなひとつ」てことで、

あの人もこの人もあれもこれも自分も、大元は同じで一緒なんだよ という考え方らしい。

スピ界隈で言われ出したのは何年前だろ。考え方自体は仏教やヨガにもあるとAI先生が言っている。知らんけど。

んでこの考え方が、私にはどうも腑に落ちず。

というのは、「自分と他者との間に境界線を引いて、心理的・精神的に踏み込まず、また巻き込まれず」にいることを、心得としているからだ。

それはあなたの問題で私が背負うことではないよね、と線引きすることで己を保っていられる局面がこれまでに多々あった。

それを同じと括られるのは、釈然としない。

ワンネスへの理解が浅いのだろうが、そこは今の私の程度というものだろう。

 

けれど、死んだ体が土に返るのは皆同じだ。

日本は火葬だから骨でもいいし、土ではなく海に返るんでもいいけど、とにかく地球に返るのだ。

植物も動物も、生物すべてが。

旧約聖書では、神はアダムを土くれだか土の塵だかから作った。

『天空の城ラピュタ』でシータはムスカに言った。「人は土から離れては生きられないのよ」

生まれるところも死んで返るところも、

物理的にはみんな地球ワンネスだ。

気候も土壌も海もおかしくしてる場合じゃねーぞ。

 

蛾の死骸からそこまで考えたところで、境内に他の人の姿が見えたので、帰ることにした。

鳥居でくるりと向きを変え、境内に一礼して出ようとすると、アゲハ蝶が近くのツツジの木の周りをヒラヒラ飛んでおり、枝に止まったりまた飛んだりを繰り返す。どうしたいんだろ。花が咲いてるわけでもないのに。

何か1つ宿題を渡されたような心持ちで、

氏神様への参拝を終えた。

ぼぼんぼ ぼんぼん盆

帰省中の今日は、送り盆。

玄関では素焼きの皿で麻殻を焚いて、

火を灯した提灯を提げ祖霊をお墓まで送る。

といっても私は大して何もせず、身内の言う通りにちょろっと動くだけ。世話かけるねえ。

雨上がりの夕刻は、8月とは思えない涼しさ。

お墓の花立ての花の保ちがいいねと母。昨日も涼しかったものね。

墓地には他にも送り盆の人たちが来ていた。

お線香を上げて、またねとお墓に話しかけて、

今年のお盆が終わった。

 

帰省で実家に着いた時、仏壇にはほおずきが、そして仏壇の前には精霊棚がきれいにととのえてあり、

両脇には青く光る盆提灯が一対、幻想的な淡い光をゆっくりと回していた。

置き型3本足の盆提灯は結構大きい。

年に数日の出番でも、こういうのがそろってるのは実家って感じだ。

そろえてお迎えするのが、ご先祖様へのおもてなしてことなんだろな。

私もささやかながら、生前好きだったお菓子を精霊棚にお供えしたのだった。

 

送り盆を終えたら、身内みんなでお片付け。

きれいな盆提灯が一番大物、組み立て式なのでバラして部品ごとにまとめて箱にしまうのだが、毎年パズル状態で笑ってしまう。ちっとも覚えられない。

しかもここでも私は大して何もせず、身内の言う通りにちょろっと動くだけPart 2。すんませんね。

精霊馬&精霊牛のキュウリとナスは、母が早速晩ご飯のおかずにした。ちゃんといただきましたぜ。

 

帰ってきたご先祖様をもてなすお盆。

これもまたハレの行事なんだね。

なくなってほしくない日本の風習の1つだと、

毎年の夏の帰省のたびに思う。何もせんで役に立たないけど。

私も年を重ねてきたな。

と、あんまりしんみりするのも気恥ずかしいので、

タイトルでふざけてみた次第。ビバノンノン。

降ったり止まなかったり その後

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はいそうなんです、千葉県民です。

令和8年8月千葉豪雨と名付けられた今回の災害の、

線状降水帯の下におりましたことよ。

昨日ブログを更新しなかったら、友人から何かあったかと心配されました。ありがとう。

他にも何人かから無事かと連絡いただきました。皆さんありがとうございます。

以下、出来事の報告と備忘録がてら。

 

ブログに書いた通り、私個人はずっと家にいたためまったく安穏と過ごしてました。

が、外出した家族が見事に巻き込まれ。

どうにか歩いて帰ってきた子どもによると、集合住宅の周囲はすべて冠水し(足首くらい)、近くの交差点周辺では水位が膝下ほどだったよう。風が強くてビニール傘の骨が折れまくり。

何かあったらすぐ連絡できるようにと、レインコートのポケットに入れてたスマホはポケット内であえなく水没、結局買い替える羽目になりまして。

道路には立ち往生した車が何台もいて、道が塞がれていたとのこと。

車で出かけた夫は、なるべく高台を選んで帰っていたけど、家が低いところにあるからどうしようもなく、様子を見て水深を確かめながら強行突破で夜中に帰宅。立ち往生はせずに済みました。

翌日、エンジンルームを確かめてから車を動かしてたから、幸い廃車も免れて運がよかった!

集合住宅には地下施設がなく、駐車場の水はけも整ってたみたいで大きな被害は出ず、

停電もなかったので、生活への影響もありませんでした。

 

豪雨の翌日となる昨日、冠水が嘘のように引いていて、ちょっと見とけばよかったなと思ったくらい。

けど、少し離れた道路に動けなくなった放置車両が2台。1台は道路の真ん中で、なるほど被害があったんだと実感。

そして集合住宅の管理室から、別棟のエレベーターが豪雨で故障したんで動かないと全室にアナウンスが流れておやおや。エレベーターの駆動部は半地下だったわ、雨水が流れ込んでしまったんだね。

それでも別棟のエレベーターだから、またも個人的に影響なし。ありがたや。

コンビニの仕事に行けば、パンやお弁当の棚はガラガラ、納品も諸々混乱してて、

都市型災害は物流止まると一気に品不足になるんだと目の当たりにしました。頭では分かってたけど、実際にこういうことかーと。

コンビニには水場もトイレも食料品もあるから、冠水した道路を走ることもできず駐車場で夜を明かしたトラックドライバーさんが多かったみたいだと、後で聞きました。

 

TVやSNSから流れてくる映像が凄まじくて、

映ってる場所は知ってるのに妙に他人事な感覚のあるのが不思議。

知り合いには駅の電車の中で夜明かしした人も、役所の一次避難施設に身を寄せた人もいました。

自分がそうでなかったのは、本当に偶然の幸いに過ぎなくて、

家族も誰もケガせず、その日のうちに無事に帰って来られて、

家の被害もなくて暮らしぶりも変わることなく、

ありがとうを言いたい場面がたくさんあった、

今回の豪雨災害てした。

しみじみ本当に、いつ何が起こるか分からんねえ。