綴ルンです

思ったことを綴っただけさ

基礎早口

夏目漱石の『坊っちゃん』の無鉄砲さは親譲りだと

物語の冒頭でのたもうてるが、

私の早口は父から「品がない。もっとゆっくり話しなさい」と言われ続けて40年、

ついに直ることはなかった。

なかった、と過去形なのは、今さらこの先直るとは到底思えないからだ。

家族で私だけなんだよなー。祖父母まで追っても。

何でかなあと考えるに、思い当たる理由が2つ。

 

小学3年か4年の時、早口言葉がたくさん載ってる下敷きを持ってた同級生がいて、

1人がやり出すと、我こそはとみんなやり出すので、

私のクラスでは、早口言葉が大ブームとなった。

ちょうど『8時だョ!全員集合』のドリフ合唱団のコーナーでも早口言葉をやっていたから、全国的にも流行っていたと思う。

その下敷きの早口言葉の中に、ひときわ長いものがあった。

正しく記憶してるかアヤシイが、覚えているまま書くと

 

神田鍛冶町の角の乾物屋で勝栗買ったが固くて噛めない 返しに行ったら勘兵衛のかみさんが帰ってきて癇癪起こしてカリカリ噛んだらカリカリ噛めた

 

というもの。長いだけで難しくはない。

難しくないからなおのこと、スピード勝負になる。

私はこれに精を出した。

で、この時の成功体験が理由その1かと。

 

ちなみにこれまでで最も難しいと感じた早口言葉は

 

池袋サンシャインシティ新春シャンソンショー 出演はジャズ歌手シャンソン歌手シュツットガルト少年少女合唱団

 

である。

サ行とシャ行が交じるの、ムズっ。

 

理由その2は、気質。

言いたいことは伝え切りたい。

今でこそ、そこまで言わなくてもいいかと思ったり、言葉を小出しにして相手の反応次第で言うのを止める、というすべを覚えたが、

昔は全部言わないと気が済まなかった。

自然と口調も早まろうというもの。

せっかちな面もあったと思う。

理想は、『続・猿の惑星』でミュータント同士が繰り広げるテレパシーのやり取りなんだよね。

思考を一瞬で伝送。いいなあ

と、思っていたこともあった。今もまあまあ思う。

思うけど、言葉を練る作業の楽しさも知っているから、前ほどではなくなった。

それと、興奮するとしゃべるの早くなるかな。

 

あー、あともう1つ。

YouTubeを1.5倍速で見るのが当たり前になった。

口調の早さを耳で聞き慣れてれば、似た早さが口をついて出るもんだよね。

 

気を使ってもらってたのか、言いづらかったのか、

その早口が不快だ、と、はっきり言われたことがない。父以外。

でも言われなかったからよし、とは毛頭思わない。

目指すのは、口調の早さを都度自覚できるようにすることと、

緩急を使い分けること。

テクニックとしての話術ではなく、

相手の気持ちに合わせられるように。

40年続けてしまった ただの早口習慣を、

場面に応じて使いこなそうと目下奮闘中である。

今回のかぶり野菜

キャベツの陰謀 - 綴ルンです

に書いたように、

私は生協でも食材を買っており、

普通の注文の他に、何が届くか分からない野菜セットも毎週の定期購入にしている。

何が届くか分からないから、普通に注文したのと同じ野菜が届くこともある。

キャベツのことは上記ブログの通り。

他にはレタス、ニンジン(この時は加えて人からももらってあんまり大量にあったから、どう食べ切ってやろうかとずっと考えてたら、夢の中で武器にしていた。消費の方向が違うわ。つまらないものですが - 綴ルンです)、

あとジャガイモもだ。

ジャガイモ、日持ちするからキロ単位で頼むんだけど、

野菜セットでも来られた時は、冷蔵庫の中を占拠されちゃったから、

しばらくの間、おかずに主食に毎日食べてた。

 

今回は、タマネギかぶり。

タマネギもジャガイモ同様、キロ単位で買う。

ただ今回ジャガイモと違うのは、

普通のタマネギと新タマネギが同時に来たこと。

ジャガイモは時期的に、どちらも普通のだった。

仮に普通のと新ジャガと両方来られても、新ジャガを早めに食べなきゃとはそれほど思わない。

けど新タマネギは、冷蔵保存してても傷みやすいからなあ。

これはあれか、

前に脂たっぷりの血液をどうにかすべく、淡路島産新タマネギでサラダを作って失敗した時の、

やり直しを勧められてるのか?

口からも春を - 綴ルンです

今回の新タマネギは佐賀産だ。

よし、まず生で食べ比べてみるか。

なるべく瑞々しいうちに、たくさん食べよ。

 

あと、これは生協もスーパーも関係ないのだが、

自家菜園の絹さやをポリ袋いっぱいにいただいた。

暖かさのせいか、豊作らしい。

しかし絹さや、一度に大量に使う料理ってあんまり見たことも聞いたこともないぞ。

さっさと食べないとしなびるし、ゆでて冷蔵したって傷みやすいし、

買うと高いからありがたいけど、りょ、量が。

でもせっかくだから、型にはめずにいろんな食べ方試してみるか。

何か発見があったらブログに書こうっと。

書かれなかったら、お察しあれ。

つらつら(登場人物の条件)

くっだらなくてしょうもないこと考える。

映画やドラマの主人公がブサメンだったら。

超絶アクションも、特殊能力者も、頭脳明晰も、相手を一途に思う恋愛も、

ブサメンで作ってくれないかな。

それでどこまでかっこよく見えるのか、

見てみたいな。

イケメンなのズルいじゃん。

高下駄履いてかっこよく見せられたら、

そりゃあさらにかっこいいに決まってる。

マンガだと、ブサメン主人公はいくつもあるんだけど、映像だとなかなか実現しない。

イケメンをブサメンに寄せるのは違うんだよ。

最初っからのブサ。

いや、まったくないこともないんだけど、

具体的に取り上げるのはさすがに控えよう。

 

同じように、今度は小説に多いけど、

男性主人公の前に現れる女性がたいがい美貌の持ち主なのを、ブサにしてくれないかな。

あるいは十人並みの容姿とか。

そこ読者のためにファンタジー要素いるのかもしれないけどさ、

美女でなくてはならない理由って、ほとんどない。

放っておけないブサと恋に落ちたりしたら、

読みながら応援するわ。

恋は盲目だもんねえって。

 

ルッキズムを批判してるわけではない。

見目の麗しさも天賦の才だと思う。

あと正直にうらやましいな。

ただ、物語に出てくるのが美男美女ばかりだと、

容姿がよくないと自分には物語も訪れないのかって思っちゃわないか?特に思春期。

自分はブサだしって卑下しがちだし。

美男美女に自分を投影して夢を見るのもいいよ。

でも、ブサまたは十人並みが活躍する物語がもっとあったら、

それもたぶんおもしろそうだし勇気をもらえそう

と、ちょっと思った。

万人受けするかは知らね。しないかもね。

敵は脂 味方に油を

お肉は大好きだけど、

脂肪がどうしても苦手だ。

鶏ならモモよりムネがいい。

モモ肉は肉自体の旨味が濃いけど、

調理する時に脂と筋が細かく入り組んで、

取り除くのに難儀するからだ。

その点ムネ肉は、そもそも脂が少ないし、

付いていても取り除きやすい。

牛も豚も、ヒレやロースが好み(牛は滅多に食べないが部位として)。

脂が少ないし、あっても取りやすいのが理由。

モモ肉も脂が少なければ買う。

一番安いのは細切れだけど、私は調理の前に片っ端から脂を取るので、脂が多いとかえって高くついてしまう。

だから、パックがいくつかあったらすごく見比べる。

バラ肉とか意味分からん(あくまで個人的見解)。

あと高級な霜降り肉だって、期待して食べたら口の中が脂だらけで気持ち悪くなった。

つくづく貧乏舌なわけだ。

が、それを恥じてもいない。

高たんぱく低脂肪の安いお肉をおいしいと思える自分でよかった。

体にもお財布にも優しいじゃないか。

(輸入豚の肉は飼養中薬漬けで、その肉を食べ続けるのは体に悪く将来の医療費がーなんて説はこの際放置する)

 

だからといって、脂の旨味が好きな人をゲテモノ呼ばわりはしない。

好みじゃん。

背脂チャッチャ系ラーメンが好きで、たびたび給油にいくヤツも知ってるし。

作家の山口恵以子氏の体験話で、こんなのもある。

以前男性とレストランで食事した時のこと。

山口氏はサーロインステーキを注文し、男性も同じものを頼んだ。

山口氏が運ばれてきたステーキを食べ始めたら、

男性はそのまま食べず、ステーキの脂身をはずしはじめたのだ。

「脂身が嫌ならサーロインじゃなくてヒレステーキでも頼めばいいじゃないですか。こっちは脂身も食べたくてサーロイン頼んだのに。合わせてくれたんでしょうけど、それでその人イヤになっちゃって。」と山口氏。

男性の気持ちが私には分かるが、山口氏の方に理がある。行為としてみっともない。

お好みに応えるためにメニューがあるんだしね。

 

「体の不要な脂は良質な油で落とす」

と、教えてもらったことがある。

青魚の油とか、一部の植物油とか、

要は不飽和脂肪酸を含む油だ。

でもなかなか摂れないんだよねえ。

そういえば、オリーブオイルは体にいいってひと頃言われてたけど、

常食していると思われるイタリアのマンマのイメージが恰幅いいの、何で?

一世を風靡したココナッツオイルは今いずこ?

アマニ油もエゴマ油も、非加熱で食べ続けることで効果が期待できるらしいが、

思ったより早く酸化して、普通の油として使うにしても風味が耐えられなくなり、挫折。

魚の油だって、加熱すれば酸化する。

できるだけ生で食べた方がいい。

って思っても、お刺身高いからお肉に走っちゃう。

 

肉の脂は極力体に入れてないけど、

体の中で脂が勝手にできて溜まる。

脂を落とす油とはうまく付き合えてない。

うーん今後の課題ができちゃった。

竹旬

タイトルの漢字を組み合わせてみましょう。

はい 筍ですね。まさに今、旬ですね。

 

大変ありがたいことに、生を毎年1本はいただく。

が、いただいた瞬間からカウントアップが始まる。

たいていすぐにはどうこうできないので、焦る。

たけのこありがたいです、ありがたいんだけど、

下ゆでがクソほどめんどくさいんだよー。

しかも生のまま置いておく時間が長くなるほど

エグみが増し増しに増して、

そうなるとどんなに丁寧に下ゆでしたって、食べたら舌がピリついてマズくなるんだよー。

生のまま置いておくとどんどんマズくなる野菜は

他には例えばトウモロコシがあるけど、

トウモロコシは甘みやうまみが減っていく味の落ち方だから、それでも十分食べられる。

だがしかし、たけのこは、

食すのが苦痛になる味の落ち方だから、

ヘタすりゃ丸ごと処分するしかなくなる。

そんなのはくれた人にも申し訳ないし、たけのこにも申し訳ないし、自分も悔しいし、三方悪しだ。

決してムダにしてなるものか。

と思えばこそ、とっとと下ゆですればいいのだが、

その下ゆでがクソほど(以下略)

 

下ゆででは、鍋の中に米ぬかと水を入れる。

米ぬかがなければお米の研ぎ汁でいい。

無洗米なら1度お米をゆすいだ水に真水を足せばいい。最悪、真水だけでもどうにかなるし。

たけのこは泥を落として、汚れたところや本体裾の赤いイボイボをちょっと切り落として。

皮付きのまま、全長の3分の1くらいで先端を斜めに切り落として、さらに切り落としたところから1か所だけ、縦に深めに切り込みを入れる。刃を入れるのは残りの全長の3分の1ほど。

この切り込みによって、中まで火が通りやすくなるし、後で一気に皮を剥く時の取っ掛かりになる。

その状態で鍋に入れて、皮ごとゆでるは小一時間。

なんだけど。

生からゆでたことのある人はご存知でしょう。

たけのこって、売られてる見た目とゆでたあとの本体の大きさが「詐欺ですか?」ってくらい違う。

理由は皮。

皮付きのままゆでるのは、本体のエグみ成分を皮が吸着するかららしいのだが、

ゆで上がったら当然皮は剥ぐ。

現れた本体は、十二単で着膨れた赤ちゃんかぐや姫かってほど、小さい。

あのデカさから本体これだけ!? ってくらい。

てことは、先っぽ3分1を切り落としたところで、皮付き全体の大きさがまだそこそこあるということ。

で、それが入るだけの大きい鍋が求められるということ。

ねえわ。

もっともこれについては、味にこだわらない前提で解決策を教えてもらった。

丸ごとゆでるのを止めて、皮ごと何ブロックかに切ってからゆでるのだ。

ただしこの場合、水に米ぬかを混ぜるとたけのこの節の中に入り込んでしまうので、お米の研ぎ汁か、いっそ真水でゆでるのをおすすめする。

あと、ゆでながら時々上下を返した方がゆでムラを防げる。

それでも小一時間だよ。吹きこぼれたら困るからほとんど付きっきりだよ。

しかも、ゆで上がったぽいから火を止めたら、

鍋ごと冷めるまで放置。すぐには食べられない。

いや、食べてもいいのかもしれないけど、熱くて皮を剥けないし。

放置するのはラクだからいいけどね。

冷めたら皮を身ぐるみ剥がして、

保存するなら適当なタッパーに入れて水を張って、

毎日水を取り替えればまあまあ保つ。

いつでも使えるし。

と、ここまで持ってくるのが本当にク(以下略)

 

たけのこご飯と、濃い味の煮物と、炒め物は、もう作った。

そしたら次は、薄い味の煮物と、メンマかな。

たけのこ、特に好きでもないんだけど、

自分で下処理して食べると、春の恒例行事を無事に終わらせられた気分になる。

やっぱいいんだよね 旬のもの。

つらつら(時代ものドラマ)

特に時代劇に感じるんだけど、

例えば同じ戦国時代を描いても、

制作が80年代か2010年代かで

絵面がえらい違い。

収録に使う機材類や記録媒体の違いもあろうが、

一番は俳優さんたちのメイクだな。

男優でもアイシャドーの色味、アイライン、目張りや眉毛の作り具合が違うし、

女優なら顔全般とか、その時代にそんなピンクの紅あるかとツッコみたくなる違和感もたまに。

どっちも戦国時代だよねえ?

時代考証が入ってるはずだけど、

視聴者ウケのために、制作時の時代の風を混ぜ込んで作ったんだとしたら、

逆に作られた時代が浮き上がってきておもしろい。

NHK大河ドラマや朝ドラもそうだし、

かなり昔の時代劇映画をふと目にした時は、

それが強く感じられる。

(もっとも、時代考証自体も新たな発見で変わってきているってのもあるやね)

民放ドラマなら、『水戸黄門』の初代初回と数代後の最終回とで、だいぶ印象が異なりそう(結局何人が黄門様になったんだ?興味薄いから調べませんが)。

朝ドラで言えば、今は朝のBSで『オードリー』を放送してるのだけど、

戦後それほど間もなくから話が始まったにしては

女優さんの眉毛 細っ と真っ先に思ってしまった。

本放送は見てなくて初見だから、なおさらかも。

現代ドラマなら、時代を感じるのはしょうがない。

小物、髪型、メイク、服装に流行があるもんね。

その流行の一片を、

不変なはずの時代劇で如実に感じるってのも

一興というか 皮肉というか。

あ、由美かおる氏だけは不変だわ。

白って何色(なんしょく)?

「白って200色あんねんで」

と、モデルでタレントのアンミカ氏の言葉らしいが

たぶん本人は本気で言ったのを、すっかりネタ扱いされている。

特にイジってるのは男性芸人に多そう。

で、これは聞いた話だけど、

男性と女性で、色彩の見え方が違うらしい。

同じように見える色でも、わずかな色調の違いを見分けるのは女性の方が長けていて、

その分景色を鮮やかに感じ取れる傾向がある、とのこと。

そうかもなー。だって口紅の色数とかさ。

「赤って1万色あんねんで」

って言いたくなるほどあるじゃんか。

系統としては、赤、ピンク、オレンジ、ベージュ、紫に大別されるけど、

その中で確かに微妙に違う色合い。

あればあるほど迷って選べない。

んでたぶん、多くの男性は、

「え、これとこれ色違うん?どう違うん?」または

「どれも同じじゃねーか」

と反応しそうだな。

だから、白200色を見分けるとか衝撃過ぎてバケモンだろうな。

まあ、白200色は私もビックリして笑っちゃったけど。それ見分ける自信ないっす。

 

ただ、見える色なんて、

光の加減でいかようにも変わる。

色見本ですら、どんな光の下で見るかで見え方が変わるし。

昼白色の蛍光灯下で、とか決まりあるのかな?

アニメーションの色彩設計は、場面ごとの光を色合いで表現して、それが観客へ与える印象を決めるんだから、

繊細な感性が物言う仕事だなあと思う。

こちらは何にも考えずに楽しんでるけど。

デザイナーや芸術関係の仕事をする人は、色にこだわりそうだが、

そうでなければ大抵の人は、多少の違いは受け入れちゃうと思うよ。

例えば赤い車10台の塗装の部分だけ見せられて、

どれがフェラーリレッドか当てろと言われても、

私は十中八九 分からないわ。

 

虹は七色って常識と思ってるけど、

国によってはもっと色数少ないらしい。

日本人の色認識だって、

緑の信号は青信号で、緑の野菜は青物でって、

そんなだったんだし。

何が何色でも、その色調の数も、まあいいじゃん。

人によって感じ方が違うだけ。

感じ過ぎる人もいれば、感じ取れない人もいる。

バカにしたり怒ったり、あんましないでね。

それにしてもアンミカ氏、

もほや色彩の特殊能力者でないかいな?

タイムラグ

先日、夕方に約束していた予定をすっぽかしてしまい、

夜に相手からの連絡があって思い出して、

今からでもいいと言ってくれたので、慌てて家を飛び出したことがあった。

幸い約束の場所はさほど遠くなく、

普段なら電車で行くのだが、自転車でも行ける距離

なので、電車の発車時刻と駅まで歩いてかかる時間と乗車時間を計算して、

自転車の方が早いと判断し、

夜道をぶっ飛ばしていった(ぶっ飛ばしても交通ルールと安全には十分注意しております)。

 

少し前まで、分かっちゃいたけどどうしても運動不足に陥っており、

この1週間ほど、それを解消するかのように、思いがけず否応なく体を動かさなければならない事態が重なっていた。

こんなに運動してるんだから、と安心して

今朝久しぶりに体組成計で測ったら、

体重はドカンと増えてるし、体脂肪は育っちゃってるし、あれ~?である。

う、運動の効果は?

先日夜に出た用事は、往復で約10kmを自転車漕いだよ。

その前からよく動いてるのに、何で?

 

更年期、は理由の1つだろう。

女性ホルモンの援護射撃が薄くなって、

体に脂が余り出す。

あと他に思い付いたのが、時間差。

体は半年前に食べたものでできている とか、

大食いしても翌日すぐに蓄積されるわけじゃない とか、

昼が一番長い夏至は6月なのに、夏が一番暑いのは7〜8月 とか、

逆に昼が一番短い冬至と冬の一番寒い時期のずれにも同じことが言える とか、

自然界は、行動のレスポンスが遅くできている。

ということは、最近の運動の結果は、

出るのが来月かもしれない。

だって、片道約5km、往復で約10kmの自転車漕ぎが

運動のうちに入らず効果なしなんて、思いたくないよ。

 

世の中が便利になったから、行動の結果がすぐに出ることを望みがちだ。

いやいや、人間の体含め、自然のものは、

結果が表れるまで時間がかかるものなんだ。

時間がかからないのは、たった1日でも寝不足の時に襲ってくる睡魔と、

食中毒くらいだろうか。

だからあせらず気長に結果を待とう。

 

すっぽかした約束は、謝り倒して許してもらい、

行き帰りの道で、夜の八重桜見物というご褒美(?)ももらえた。

あとは食べ過ぎで運動効果がチャラにならないようにしないとね。

体重と体脂肪、血中脂質の高い私にとっては、

結果が出ないと努力が報われないようでイラついてしまいがちだ。

時間差あるのを忘れずに、だね。

生きているのは今 3

生きているのは今 2 - 綴ルンです

の続き、前世・過去生のこと。

又聞きの例を1つ。

 

Aさんは、Bくんのことがとても好きだった。

縁が強いかどうかを知りたくて、

知り合いの霊能者に聞いてみた。

「私はBくんと前世で関わりがありますか?」

答えは「ないよ。」

Aさん、とても気落ちした。

 

それを聞いて私が思ったのは、「なぜ?」

なぜ前世の縁に頼るの?

なぜ前世の縁がなくてガッカリするの?

なぜ今できた縁を嬉しく思えなくなるの?

今生で知り合えて、今、関わりがあるんだよ?

それを大切にすればいいことじゃん。

 

スピリチュアルが好きな人には、

こういう傾向があるように思う。

前世や過去生を否定はしないし、

ソウルメイトだツインレイだも考え方はご自由にと思う(これらも私は若干距離を置いてる)。

「あの人に会って、どう言ったらいいか分からないほど自分の中の何かが反応した。そんなことこれまでになかった。運命の人だと思う。」

という人もいる。

その人がそう思うなら、そうだと思う。

否定する理由が私にはないから。

その人が幸せならそれが一番だし、応援する(それが社会通念に反する場合は別)。

 

だけどさ、前世 過去生ってまず覚えてないよね。

とある実話マンガの1場面で、

作者がスピ好きの友だちと旅行した際、ある景色を見た時にその友だちが

「この景色、見たことある。きっと私は前世でここに来たのよ!」

と叫んだ話があったんだけど、

そんな人が隣にいたら、私ならウンザリするなと思ってしまった。

いちいち前世に絡めないでよ。同じ景色を写したポスターなり映像なりをどこかでチラッと見たのかもしれないじゃん。

そう思うのはお好きなようにと思うから、たぶん黙ってるだろうけどね。

今生の幼い頃の記憶もあやふやなのに、

生まれる前のことまで遡りたがるって、

インナーチャイルドより欲しがりだなあ。

それより、今生の今、身の回りにある縁を、

しっかり選んで育みましょうよ。

その縁も、生きていれば移り変わっていくから、

そのたびどうしたいか自分に聞いてみましょうよ。

縁ではなく、何か決定的に恐怖や悲しみを引き起こされるような事柄なら、

原因を探るのに過去系を使うのも1つの方法だけど、

どうしたら心が乱されず穏やかにいられるかを

現実的にいろいろ探してみましょうよ。

 

つまり私が言いたいことは

 

あなたは いつを 生きてるの?

生きているのは今 2

これもスピリチュアル関係の話。

 

生きているのは今 - 綴ルンです

に書いたのは、私の昔と今のこと。

あんなに大好きだったの忘れてたー!という話。

 

ところで、スピでよく取り扱う話に、

インナーチャイルド と、

・前世、過去生 がある。

「今のあなたがそうなのは、これらに原因があるからです。未来の自分のために、知りましょう、癒やしましょう」

というのが定番。

 

インナーチャイルドというのは、子どもの頃に抱いた悲しい経験や感情で、「傷付いた子どもの心」のことだ。

で、思うんだけど、

子どもの頃に悲しい思いをまったくしたことのない人、いるの?

仮にいたとして、果たして何の陰もなく、すくすく伸び伸び育つものなの?

陰や負の感情を知らず、陽や正の感情しか知らない人が大人になって、初めて心が傷付く経験なんかしたら、打ちのめされて再起不能にならないか?

というか、実例がいるなら教えてほしいが。

インナーチャイルドを否定はしない。

子どもの頃に凄絶な経験をしたなら、そこは優しく抱きしめて、折に触れてなぐさめてあげなければいけないと思う。

心の強さや耐性も人それぞれだし。

だけど、あんまり掘り下げるのもどうだろう。

「つらかったことに向き合って解消しないと」と反芻するたび過去の傷をほじくり返してるわけだよ。

向き合って、癒えるのか?

と、これも発達障害カウンセラーの吉濱ツトム氏が言っていて、昨日に続き受け売りですが。

はい私もそう思う。

わさわざ癒そうとしなくても、思い出したなら

「あれ、悲しかったな つらかったな」

だけでいいでしょよ。

あの頃が悲しくても、つらくても、

やり過ごしたり乗り越えたりして今があるでしょ。

大事にするのは、傷付いた子どもの心より、

今の自分の心じゃないの?

昔の思いも経験も、確実に今の個性の一部。

丸ごと今の自分として、

受け入れて大切にすればいい。

スピ好きは、もう少し『今』に重心置こうよ。

 

で次に、前世・過去生なんだけど、

眠くなったのでまた明日。

潜在でも深層でも

心理テストがブームになった時代があった。

今でもなくなってないし、

私は昔も今も好きである。

けど、心理学を学ぶとなると、

堅苦しくって眠くなるのはなぜだろう。

眠くなるなりにおもしろいけどね。

 

同じようにスピリチュアルな話も好きで、

(ただ、最近大流行の考え方とは距離を置いている。古代の大陸系とか他の星系とか次元上昇系とか。それが本当かどうかはさておき、もっと身近なところの話で自分のあり方を考えたいから)

精神性と宗教的と哲学と心理学は、

重なって切り離せなかったり融け合ったりするから

そちらにも手を伸ばすこともある。

図書の日本十進分類法NDCでも区分近いしね。

これは余談。

 

で、タイトルの 潜在 と 深層。

潜在意識 と 深層心理。

この違い、分かってるようで分かってなかった。

心理学でよく使われるのは、深層心理。

スピで使われるのは、潜在意識。

「潜在意識を書き換えて、現実を思い通りに!」

なんて、よく見かけるフレーズだ。

どちらも自分では無自覚な、気付いていない心の動きのことだけど、

深層心理を書き換えようとは言わんわな。

アプローチする、とは言うけれど。

あと、両者がどう違うかは、研究者の間でも多少の見解の相違があるらしいが、

「意識」の方が扱う領域が広く、「心理」はその中で感情に影響を与える部分、との見方でいいようだ。

 

てことは、どっちにしたって、

思いグセに気付けばいいんじゃね?

思いグセに気付くために見つめるのは、

今の自分の考え方や行動の仕方で、

自分を変えるためには、潜在意識を書き換えようと懸命になるより、

顕在意識の持ち方を変えた方が早くね?

と、発達障害カウンセラーの吉濱ツトム氏が言っていた。

受け売りかよ!

受け売りだよ。私もそう思うから。

(吉濱氏のすべての言説に首肯するわけではないことを、一応書き添えておきます)

 

『病は気から』が、『気も病から』であることを、

多くの人は知っている。

その行動バージョンをやればいい。

潜在意識が深層心理がと言うんじゃなくて、

首を傾げながらでも、まず動いてみて、

動き続けることで、考え方が少しずつ変わってきて

思いグセに気が付いて、

望む自分に近付けるんじゃないだろうか。

すんなりとは行かないだろうけど。

というのも、変わる自分を恐れて引き止めるのも自分だから。

 

潜在意識も深層心理も、

そこさえどうにかすればいいような万能さなんて

本当にあるのかどうか。

顕在意識と表層心理を自覚すれば、

そこからどうにかできると思う。

でも納得できない人は、

とりあえず心理テストで遊んでみたらいかが?

議論・論争・対話

世にセンセイと呼ばれる人たちの議論の様子が

TVに映されると見苦しく聞き苦しいと感じるのは

議論というより論争しかしてないからかも

と、ふいに思った。

声高に自説や信念を唱えるばかりで

違う意見に聞く耳を持とうとしない。

噛み合わずにヒートアップするだけ。

それじゃ話が進むはずもない。

 

私もちょっと、人と言い合いをした。

相手の話が不合理に感じられて、

後で第三者に意見を求めたのだが、

話の半分はグチだから、第三者は私をなだめるしかない。

自分の気分が落ち着いたところで、少し反省した。

一般的に合理的と思われる最短ルートはあっても、

すべての人がそれを選ぶわけではない。

私が相手にしたのは、

それを選べというゴリ押しだった。

相手が出してきたのは、私にとっては謎の迂回路だったけど、

大した手間ではないのだから、

意固地にならずそちらを選んであげてもよかった。

要らぬ言い合いは、要らぬこじれを生んだ。

 

また別の日に、友人と話している時のこと。

繊細なテーマなので濁しながら書くと、

かねがね疑問に思っていた事柄が、

所変わって人も変われば見え方も変わる、という、

至極真っ当だし頭では分かっていたことを

具体的に話してもらえたことで、

自分の疑問には偏見が混じっていたと知らされた。

その偏見は、新聞やTVの報道に作られた部分もあったと思うが、

その偏見混じりを土台にしてしまうと、

どうしたって本質は見えてこない。

友人は、そのテーマに知見を持っていて、

かつ どちらにも偏らない高い視座から話してくれたので、

私は自分の偏見を素直に認めることができた。

 

話し合うことは大切だ。

その話し合いが、建設的な議論ならいいが、

互いに主張を繰り返すだけの論争で、

相手を言い負かすことに血道を上げるばかりでは

本末転倒だろうよセンセイ方。

大人数向きじゃないけど、

対話するつもりで話し合えばいいのに。

「それってあなたの考えですよね」

そうです、私の考えです。ではあなたの考えは?

そしてそれってあなたの考えですよね。

なあんだ、お互いさまですね。 の次、

ではここからどうしましょう? が大事では?

 

前から思ってはいたけど、

今回改めて私が学んだのは、

相手の考えを理解できなくても、そういう考え方があると認めること と、

そうするにあたって謙虚になること。

私はこれだけ生きてても なお、

未だに知らないことばかりだし、

一生かけても知ってることは、たかが知れてるのだ

きっと。

過ぎ行く洟の季節

タイトル誤植じゃないっすよ。

スギ花粉がいつの間にやら飛び散り終わり、

鼻水が勝手に走る季節が過ぎていた

ってことっすよ。

時々クシャミは連発で出るんだけど、

水っぱなに困ることはなくなったし、

目のかゆみも気にならなくなってるし、

やー、今年も乗り切ったー。

今年はティッシュやトイレットペーパーの値上げも言われてたから、

2月3月でそれは買い込んで、

在庫を気にせず存分に洟をかめた。

毎日服用するからガンガン減っていく鼻炎薬も、

どうしようそろそろ買っとこうか、と思っていたところだったよ。

ギリギリ買わずに済んだわ。薬代もバカにならないんだよね。よかったあ。

大昔は止まらぬ鼻水で耳鼻科に駆け込んで、

「毎年症状出るって分かってんだからもっと早くに来んと!」

ってオヤジ先生に怒られてたもんだ。

でもすっかり行かなくなったのは、

薬の種類をやたら多く出す先生で、

本当にそんなに必要なのか疑問に思ったのと、

院内禁煙なのに自分は部屋で喫煙してるから、

診察の時もタバコ臭いのが嫌だったから。

タバコについては、通い始めはそんなじゃなかったんだけどな。

年取るにつれて、ヤニ抜けがガマンできなくなってきたっぽい。

お医者さんだって喫煙してもいいと思うよ。嗜好品だから。

でも病院で副流煙は嗅ぎたくないわ。

おまけに自分の喉の調子がよくなくて、

しょっちゅう「グゥエッヘ!ゴッハゲッヘ!」と

ハデな咳をしてたしね。

薬代そのものは、病院から処方された方が安いけど

診察代を加えると、市販薬とドッコイ。

だから行かなくなりました。

お元気かしら?

 

で、スギは終わってきたけれど、

ヒノキの花粉症の人はまだつらいでしょう。

もう少し、がんばってくださいませね。

お先に失礼いたしますわ、ホホ。

上から目線

て言葉が市民権を得て久しいし、

私も使ってきたのだが、

あまりの使われっぷりに、近頃疑問を持つようになった。

要は「エラそうに」ってことだよね。

けど、言ってる内容に一日の長でもある相手なら、

そりゃエラそうにも言うでしょう。

「エラそうに」ってのも、言われた側の主観だし。

言った側が明らかに小バカにしてきたり、頭ごなしに物を言ってきたら、それは腹も立つけどさ。

そういう態度じゃなく、諭しているのすら、

「上から目線」と言ったりする。

じゃあどんな言い方ならいいんだろ。

そんなに横並びでないと気が済まないのか?

これまでに経験したこと、体験したこと、得ている知識や知恵、ものの考え方、どれをとっても

誰のものも横には並べられないのに。

それとも、自己肯定感の低さの裏返しなのかな。

自分で自分を貶めてるのに、

ちょっと人から下に見られたと感じたら、

「上から目線だ」と攻めてきたりする。

精一杯尊重して話をしてるのに、その一言で壁を作られたら、

それ以上何を言っても受け取られない。

だからって、こちらがへりくだるのも違うし。

 

話題になったドラマ『不適切にもほどがある』の最終話では、

「♪寛容になりましょう」と寛容音頭が歌われたが

どこからの目線であっても敵意がないものなら、

それこそ寛容に、受容の幅を広げてよ。

いちいち引っかかってしまうの、自分も苦しくないか。ずっと心がささくれて。

バカになんかしてない。敵意も悪意もない。

話をしたいだけ。

「上から目線」を乱用するなら、

気まずい雰囲気回避のために参考として、

どう言ってもらいたいのか教えてくれない?

もっとも、その通りにするとは確約できないけど。

 

人に「上から目線」と言ってきた人は、

人から「上から目線」と言われたら、

次からどう会話するんだろう。

「お互いさまだね」って笑って、

話し方にアンテナ立てず、流してしまえれば、

気持ちは穏やかでいられるし、見える世界が広がる

ように思うんだけどな。

「食と農」だけじゃない

もやしてかもして - 綴ルンです

企画展を見に行った、

東京農業大学「食と農」の博物館。

せっかくだから常設展も見なくちゃね。

まずは1階を歩き回ると、

バイオリウムという温室の入口があった。

そちらへ入る手前に、スナネズミの展示が。

たっぷり過ぎるほどのチップ(木くず)と裁断乾草に埋もれて寝る姿がかわいい。

大きさはゴールデンハムスターくらいだろうか。

キンクマハムスターの方かな。

細長い尻尾の先まで毛が生えてるのも何かいい。

近くの壁には、シーラカンスの模型があったが、

あまりのデカさに一瞬ビビった。

マグロと同じくらいだから、そこまでビビることもないんだけど、

顔が怖いし鱗デカいし妙に不気味だし。

 

それらを眺めてバイオリウムへ。

動物園のニオイがするな、と思ったら、

ケヅメリクガメという大きなカメが、すぐ目の前の床にいて、自分のフンをメッチャ踏み潰していた。

その奥にはキツネザルが数種類。

こちらではレムールと表記されていた。

うち1種はワオキツネザル、のはず。

バイオリウムの中は高温多湿を保ってるようで、

ランの花が咲いていたり、水辺が作られていたり。

けど、目立ったのは何種類もの多肉植物

葉が花のように広がるもの、ゴツゴツと岩のようなもの、うねるもの、色も緑、紫、灰色など、

姿形がこんなに多様だとは知らなかった。

もちろんサボテンもあった。それも大きいのが。

入場無料、予約不要だからか、

小さな子どもを連れて遊びに来ている家族も何組か見かけた。

 

バイオリウムを出て、

日本の農業の発展に欠かせなかったリンの説明と、

世界のリン鉱石の展示をザックリ眺めて、

階段を上り2階へ。

するとまあ、ニワトリの剥製標本がいっぱい!

原種の赤色野鶏は はずせないにしても、

肉や卵を取るための品種、観賞用の尾長鶏、美しい鳴き声の東天紅 他、闘鶏のための軍鶏も複数種、飼いやすく鑑賞もできる様々な羽色の矮鶏(チャボ)。

よくこれほど集めたなあ。

烏骨鶏もいた。

それで、外に巨大なニワトリ像なのか。

世界最大級の軍鶏とか、生きて目の前にいたら絶対怖い。あの太くて鋭い蹴爪に引っ掛けられようものなら、きっと血が噴き出して止まらんわ。

などと想像して1人で身震い。

何たって 爆走!妄想族★ なもんで。

それと、世界中のニワトリグッズコレクションのコーナーもあった。

集めた人、よっぽどニワトリ好きなんだな。

 

農大卒生がいる蔵元の日本酒瓶の壁展示を軽く見て

日本の酒器コーナーへ。

もはや骨董品の域だ。

年代、地域、素材、海外への輸出向けなど、

見事な工芸品の数々。

その時代に描かれた絵の展示もいくつかあった。

また酒器コーナーの一角に、

昔ながらの日本酒の作り方を和紙人形で再現したミニチュアが展示されており、

これが稲の収穫から始まって、日本酒を醸して、

祝言の席で皆で楽しむところまで再現してたのだが

人形も稲も道具も酒器もお膳も何もかもが和紙。

細かく丁寧に作られてて、とても素晴らしかった。

 

最奥には古民家の家の中を実寸で復元したものと、

昔の農具の展示。

古民家の土間をニワトリがうろついてたり、

向こう側からタヌキが顔を出していたりと、

ほっこり演出がおもしろかった。

中に入れたらもっといいのにな。

まあ、荒らす人もいるだろうからムリか。

 

上ったのと違う階段を下りたら、バイオリウムの前に出たので、

先ほどは通らなかった産学連携コーナーへ。

研究が実用化された事例をいろいろ見られる。

この中に将来光り輝く原石があったかもしれない。

 

最後に、外の巨大なニワトリ像の説明を読みに行った。

彼(だってトサカがオス)の品種は ナレースワン大王鶏。

タイの軍鶏である。

ナレースワンとはアユタヤ王朝の19代目の王様で(第21代という説明もある)、

ビルマミャンマー)の属国だった自分の国を独立させた人だ。

囚われの身だった幼い頃、ビルマの副王と戦況を占う闘鶏をしたら、ナレースワンのニワトリが勝った。

長じて独立を果たしたことから、闘鶏はナレースワンの象徴となり、

そのため現地では、ナレースワン大王鶏のグッズは縁起物であるらしい。

そうなんだ。色合い的に赤色野鶏かと思ったよ。

私もいいかげんだな。

 

「食と農」は稲作中心だった印象なので、

もう少し農の幅が広がった展示も見てみたいな と

勝手なことを考えながら、博物館を後にした。

とはいえ無料で楽しく過ごせました。

ごっつあんです。