綴ルンです

思ったことを綴っただけさ

時期でも作れたら作るものと、ある本

作れたら作るもの。それは ぶどうジャム。

先日スーパーで、見切り品のぶどうがあったので、

ジャムを作ることにした。

品種はスチューベン。

黒紫色の、種のあるやや小粒なぶどうだ。

 

ぶどうジャムの作り方で開くのは、この本。

『娘につたえる私の味』辰巳浜子

著者は、御年98歳の料理研究家 辰巳芳子氏の

御母堂。

この本、レシピ集ではあるのだが、読み物としてもめっぽうおもしろい。

母の本棚にあるのをもらったもので、

奥付によると初版は昭和44年(1969年)。

手元にあるのは11版で昭和48年(1973年)。

お若い頃の芳子氏と一緒に写った近影もある。

著者は「これといって特別の品はなく、だれにでも、どこででも手に入る、手料理可能なものばかりです」とのたまい、当時の台所の様子も伺い知れるのだが・・・まあ後ほど。

 

さて、ぶどうジャム。

本ではキャンベルという品種を使う。

酸味と香りがそろって適しているのだというが、

私はこだわりがないので、見切り品のスチューベンで。

本での作り方は、

ぶどう(1kg)の粒を軸からはずし、

水洗いしたら鍋に入れ、砂糖(600g)を最初から入れて、

木べらで軽くつぶして火にかける。

あくをすくい取りながら火を通し、

煮詰まってきて、木べらに重みを感じるようになったら、

レモンの搾り汁(1個分)を加えてさっと一かきまぜしてから火を止める。

 

このレシピが文章でつらつら書かれているのだが、この続きがあるのでそのまま引用すると

「皮は!種は!とお思いになるでしょうが、皮も種もそのままのところがよろしいのです。よく熟した、火の通った種はポチン、ポチンと歯ざわりがよく、香ばしく感じられます。もし皮と種が気になる方はぶどうだけを煮て、布の袋に入れてつるし、したみ落ちる汁に砂糖を加えて煮つめればよろしいのです。」

何でしょう、品があってたおやかそうなのにキッパリと潔い。

材料はさすがに箇条書きで別になっているが、

縦書き右開きの本なので、こんな感じで作り方と所見が一緒になっているのだ。

ただ、一番最初にまったくこの通りに作った時、

皮は気にならないが種はとても「ポチン、ポチンと歯ざわりがよく」なんてことはなく、ガリゴリと固くてどうしようもなかったので、

種を探しちゃ取り出し探しちゃ取り出ししてやっかいだった。

今は、先に実をつぶして種を取り出してから作る。

昔の人は今より固いものを食べ慣れていたのだろう。

私の歯も軟弱だし。

 

そして、この本には 栗の渋皮煮 の作り方も紹介されている。

が、レシピの冒頭をまたもそのまま引用すると

「渋皮煮を作るためにはまず灰汁水(あくみず)を用意します。灰汁水を作るのには、わら灰が一番よいので、私は米屋から俵、かます、きんだわら(米俵の上下についている丸い藁)を求め、燃して灰にします。きんだわら一個分の灰に水十リットルを加えて一晩おき、その上水を使います。灰汁水の、灰は何んでもよさそうなものですが、決してそんなものではありません。白く燃え切ったものは加里分が少なく、又火鉢の灰は煙草の吸がらの臭みなどがあって駄目です。わらの灰は黒い灰に作ります。焼き過ぎないように注意します。」

うおおお初っ端からハードル高えーーーー!むしろ壁ーー!

俵で納品受けてる米屋がすでになさそうだ。

なおこちらの渋皮煮、砂糖ではなくざらめで煮る。

 

他にも、魚屋で求めた活き鮑を貝殻からはずす方法、

かつおたたきは鰹を三枚におろすところから、

おすしのにぎり方などなど、

祖母でもやってるの見たことないわ、という料理のオンパレードである。

かつては日常で気負わずできたのかもしれないが、

たかだか50年で、やろうとするとイベントの域になってしまった。

 

食があまりに簡便に調達できるようになって、

生活しやすくなってるのは間違いない。

だから、食に関わる時間を縮めて外に働きに出て、金銭を稼げるようになっているが、

その分、食への知恵が急速に失われてやしないか。

 

生産性って何だろう、と

できたぶどうジャムをパンに塗って食べながら

ちょっと考えてしまった。