この数年で、ものの見方がやわらかくなったと思ってた。
人のことも自分のことも、以前なら憤ってたことをだいぶゆるせるようになって、
感情の乱高下が前より減った。
(20年くらい前は、日清チキンラーメンの替え歌で♪すぐ怒る〜、すごく怒る〜 と人に歌われてた)
それとともに、自己肯定感も上がって、
自分に対する頑なな思い込みなんて
特になくなったよなあ と思ってた のに。
「誰かの 何かの 役に立たなくちゃ
私はいてはいけない」
と思い込んでいた自分を見つけた。
ただ いるだけの自分に価値はない と。
ものすごい自分下げしとったわ。
上がったと思ってた自己肯定感は幻だったのか?
もしそう思ってるのが身内や友人で、その気持ちを告げられたら。
そりゃ怒るなあ。何言ってんの!って。
例えば打ちひしがれて落ち込んでいたら。
例えば病で動けなくなってたら。
例えば自分には何もできなくて申し訳ないと思われてたら。
役に立つとか立たないとかじゃないよ、
いてくれればそれでいいよ と思うだろう。
(終わりの見えない壮絶な介護の最中は、そういう気持ちになれないかもしれないけど)
だけど、私はそれを自分に許してなかった。
対等であるための立ち位置
ギブ・アンド・テイク
やってもらったらお返しを
やってもらってなければ奉仕を
それが自分がいる条件だと。
そうできなければ、存在してはいけないと。
でもそれは謙遜でも美徳でもないよね。
ただの自己卑下。
何がきっかけで、いつからそう思うようになったか
そこは分からない。
で、何で急に自分の思い込みに気付けたのか、
そこも分からない。
ただ、これで気付いて自覚できたから、
自分にかけてた呪縛から少しずつ解放されそうだ。
「自分なんて」と思ってる人は、
きっと毎日精一杯で、やるべきことに追われて、
何も努力してないと小さな罪悪感を抱えている。
いいのさ、やれる時にやれることやれば。
やりたくてもできないって時にムリしなくても。
ただそこにいる自分を ゆるそう。
だから私も 役立たずの自分をゆるすさ。
どんな自分も好きであれ。