タイトルは何についてかというと、
環境系活動家の活動について。
自分たちが正しいと信じるあまり、
硬直しているのが分かってない。
全員がそうだとは言わない。
折り合いをつけて、探りながら着地点を見つけようと模索している人々もいる。
が、どうしても「それってどうよ?」な報道が目につく。
例えば秋田県で小屋に籠もった熊の殺処分に対しての苦情電話。
人的被害があってからでは遅いのだ。
電話する人は、人より熊が大事なんだろうか。
なら、熊が山を下りなくて済むように、
熊の食料を山へ運んであげたら?
電話をどれだけかけても何の解決にもならないから。
同じように、北海道の熊射殺。
放牧牛が多数襲われたが、状況を見るに食べるためではなく、
狩りを楽しむかのように襲っていたようだ。
酪農家はどれだけやり切れなかったことか。
鉢合わせたらやられるという恐怖もあっただろう。
それでも苦情を寄せる人がいる。
理解できない。
外国の環境活動家は、環境保護を訴えるため、
川に染料を入れて蛍光色にする。
訴え方が安易で短絡的だ。
本気で保護を訴えるなら、川の各地点で水質調査をして、
流れ込む排水も調査して、
どのような状態が理想的か、
そこに至るまでにどのようなことができるか、
地道にコツコツ筋立てて実行すればいい。
川の色を変えるだけで、何が環境保護だ。
もし調査と改善をしながらだったら、
調べが足りずすみませんと謝るけど。
捕鯨に反対する人たちは、
「頭のいい動物を殺してはならない」と言う。
これを取り上げた『美味しんぼ』(原作:雁屋哲 作画:花咲アキラ)で登場人物が
「それじゃ、牛や豚は頭が悪いから殺していいというのか?そんなのおかしいのでは?」
という内容のセリフを言うが、まったく同感だ。
頭の良し悪しで、命の差別を正当化しているからだ。
それに捕鯨は文化の側面もあり、
何より乱獲していない。
「我々にはその文化を受け入れることはできない。だからやめろ」などと、
その非寛容な権利意識こそ受け入れることはできない。
美術館の絵画に塗料をぶち撒ける人は、
『風が吹けば桶屋が儲かる』的な訴え方をやめろ。
伝わらないどころか滑稽でしかも迷惑だ。
地球環境が今のままでいいはずはない。
けど、何をしても即効性はない。
過激でワケ分からん行動に走るより、
小さくてもできることを草の根でやっていく方が、
よほど確実で近道だと思う。
自称 環境系活動家の彼らに言いたい。
示威行動ではなく、その草の根を広げる方に力を注げよ。
そして文化の否定は環境保護に通じ得ず、反感しか買わないので逆効果だ。止めるよう。
また環境保護と同じように、今いる人々の暮らしも尊重されて然るべき。
人より熊が大事とか言語道断だから。