昨日は紙幣刷新のニュースが朝も晩も流れた。
全券種のデザインが変わるのは20年ぶり。
新紙幣を手に入れようと、金融機関に並ぶ人々の姿やATM巡りをする人がTVに映されていたが、
そんなにいち早く欲しいものなのか。
日本人の初物好きは、時代変われど変わらんのね。
生まれた頃に流通してたのは、
高額な聖徳太子がお二人様と伊藤博文の千円札、それに岩倉具視の五百円札。
お年玉で手にするのは圧倒的に具視、たまに博文。
その具視が、紙から数字の玉になった時の驚きよ。
それから2年後、今度は博文も去っていった。
千円札は明るい茶色の博文から、青っぽい漱石へ。
確か父からお年玉か何かでもらったのだが、
子どもだった私にとって、初めての新紙幣はキラキラして見えたものだから、
無邪気に「これ取って置こう!」と言ったら、
「そんなのこれからいくらでも出回るんだから、取って置くのはむしろ今まで使ってた方だよ。そのうちなくなるから。」
と言われ、目から鱗が落ちる思いになったもんだ。
なおその当時、世間では「新渡戸稲造、誰?」でもちきりで、
国際結婚の先駆者で、東京女子大学の初代学長で、『武士道』を書いた人、と紹介されたけど、
漱石の身近感(親近感ではない)には及ばず、
今や再び誰だっけ状態。
2000年に開催された沖縄サミットに合わせて、
二千円札が発行された。
額面もデザインも珍しかったし、
手にした時は使い込まれておらずきれいで嬉しかったが、
未だに使い込まれた二千円札を見たことはなく、
存在そのものも珍しいままだ。
対応できる自動販売機系の機械がほとんどなかったのがネックだったよね。
新五百円玉だって使えない自販機がまだあるくらいだもんね。
対応機種にするにはお金も時間もかかるし、
こういうところは現金のデメリットなんだろな。
で、2004年に今(または今まで)のメンバーの、諭吉、樋口一葉、野口英世となったわけだが、
諭吉の裏面が雉から鳳凰になったのに、
このマイナーチェンジはそれほど話題にならなかったような。
あの時も、今回のように新紙幣を求める行列はできてたんだろうか?
全然記憶がないのは何でだろ?
諭吉だけ居残ったから、今一つ目新しさに欠けたせいかなあ。
と、振り返ると今回で3度目の新紙幣だ。
しかもこれまで、紙幣が硬貨に変身したのと、新額面券種の発行も見てる。
だからかそんなに珍しさを感じず、そこまでして新紙幣を求める心理がよく分からない。
父が言ったように、これからはそれしか手元に来なくなるんだから。
それでワクワクと楽しいならいいけどね。
お祭り騒ぎできるのは平和な証。
もっと大事なことがあっても実はこれ目くらまし?