私は寺社仏閣や仏像が好きで、
昔から行ける時にチョコチョコ訪れているが、
だからといってエネルギーが分かるとか、
波動の違いが分かるとか、
見えない存在を見たり聞いたり感じたりするとか、
そういうことは一切ない。
そういうことが分かる人に憧れと羨望を感じるが、
分からんものはしょうがない。
護摩祈祷も人によっては
「炎が上がると体の中が温かくなってきて」など
感じるようだが、
私は出来事を眺めるだけに終始した。
法衣の色の異なるお坊さんたちがゾロゾロとやって来て、護摩壇の周りに座した。
その前に、先に来ていたお坊さんがマイクで護摩祈祷の説明をし、その場にいた参列者たちのお清めをしていたようだった。
ようだった、というのは、同時に外で鐘が鳴っていた中、マイクなのにお年のせいかハスキーボイスでお話がよく聞き取れず、所々聞き取れた単語と所作とで推測するしかなかったからだ。
やって来たお坊さんたちが配置に着くと、堂内の明かりが落とされた。
いきなり大太鼓がドーン!と鳴らされ、不意打ちにマジでたまげた。
太鼓があるのは見えていたが、その付近に人影が見えなかった。後ろ側で叩いていたようだ。
お経の唱和が始まり、鉦や鈴のような音の鳴り物が加わり、中央の護摩壇に火が上がり出した。
護摩木がくべられ、炎が立ちのぼる。
すると、参列している善男善女が次々に立ち上がって、柵の内側に入っていく。
もしかして何か案内があったのかも。ボーッと眺めてて気付かなかった。
護摩壇の奥、左右2か所にいるお坊さんに、皆さんバッグを渡している。
お坊さんは、バッグを護摩の火に当てて、持ち主に戻している。
後で調べたら、御火加持といって、バッグなど持ち物を護摩の火に当てることでご利益をいただけるのだそうだ。
祈祷の申込みをしなくても受けられるそうで、
こんな大盤振る舞いのサービスされたらファンになっちゃうよなあ
などと筋違いな納得。いやそこには崇高な理念があろうて。
御火加持が済み祈祷は続き、
護摩祈祷が終了。
堂内が明るくなって、お坊さんたちはゾロゾロと退出していった。
中央の護摩壇に3〜4人の作務衣のお坊さんが来て、
終わった後の灰をならしていた。
その上を見ると、垂れ下がる金色の天蓋の中は、
・・・高スペックそうなダクトっぽいな。
そりゃこんだけ頻繁にたくさんの護摩木を焚くんだから、対策取らなきゃ堂内ススだらけであっという間に真っ黒だ。
天蓋の周りのオシャレな雨樋みたいな飾りだって(例えがすでにバチあたり)、煤けた様子はない。
機能と威厳が両立してるわ。
思いがけず初めて護摩祈祷に参列できて、
ありがたく興味深いものだった。
不動明王様にお礼を言って大本堂を出た。
そういえば、お寺もあちこち行った割に、
これまでこういうイベント系に立ち会ったことはなかったな。
見方や考え方が不届き者ゆえに、
長〜い片思いなのかも。
これぞ自業自得。
続く