お坊さんたちが本堂に入っていったけど、
神社の祈祷のように、関係者以外立ち入り禁止かもしれない。
外から中をうかがうしかないかな、と考えていたら
半袈裟の人が本堂から出てきた。
よし、聞いてみよう。
これから何か始まるんですか?
「はい、大般若法要を行います」
確か今日は、特に行事がなかったかと思ってましたが?
「ご依頼があった時に執り行います。ご祈祷を受けた方がご祈願の成就があった時ですとか。」
よく行われるんですか?
「そうですね、月の始めの2週間くらいはだいたい毎日ありますけど、それを過ぎると3日に1度くらいになりますね。」
じゃあ今頃ですと、そんなに頻度は高くない。
「そうですね。中でお坊さんたちが勝手にやってるので、拝観はご自由にできますから、よろしければ中へどうぞ。」
そんなもんよろしいに決まってる。
いそいそと、三たび本堂に上がった。
中は、さっきより参拝者が多く座っている。
一番後ろにそっと座り、大根で重くなったリュックを下ろした。
が、こちらが静かにしてても、内陣から何やらガコンガコンバタンバタンと大きな衝突音。
両側に座った4人のお坊さんが、経机の上にたくさんのお経の冊子を積んでいく。
冊子は少し細長く、表紙と裏表紙がしっかり固そうに見える。これらを次々に取り出して並べそろえていた音か。
偉いお坊さんが中央でお経を唱え、他のお坊さんたちも唱和して、ご本尊のご真言聞き取れたな、などと思っていたら、
突然すべてのお坊さんが、
「ァア〜~イッ!」
としか聞こえない掛け声で、積まれたお経の冊子を片っ端から持ち上げて、中身をダララララ〜と開き落とし出した。
冊子の中のお経は蛇腹折りの紙に書かれており、開くことで読み上げたのと同じことになる。
で、これにも慣れが必要なようで、
一番若いお坊さんは、開いた蛇腹がうまく重ならず、時々まとめ直していた。
中央の偉いお坊さんはやはりうまい。高々とお経を掲げて蛇腹を右から左に左から右に、自在である。
その蛇腹の動きがアコーディオンやバンドネオンのようでもあるし、大昔に流行ったバネのおもちゃのようでもある。あの勝手に階段下りてくやつ。
ほえ〜と眺めていたのだが、ここでも中央のお坊さんを見ていたのに、着ていたものの色をやっぱりハッキリ思い出せない。
紫と白が印象的だったのは覚えている。でも何がどうで、袈裟が何色だったのか。
4人のお坊さんが黒衣に山吹色の袈裟だったのは覚えてるのに。
んで、このァア〜~イッ!とお経一斉流しは、この後も2度行われた。
そして山のようなお経の冊子は、中央のお坊さんがお経を唱えている間にガコンガコンバタンバタンとしまわれて、
大般若法要という通り、最後はお坊さん全員で般若心経を唱えて終了。
本堂の太鼓がドンッと鳴らされ、
お坊さんたちが退出していった。
なかなか素晴らしいパフォーマンスを拝観したなあ
と、いささか罰当たりな感想を胸に本堂を出て、
最後に門のすぐそば2か所のお参り。
地蔵菩薩の功徳1つにつき1体のお地蔵様がいて、
その数合わせて28。
1〜27番のお地蔵様は外に立っているが、
28番目のお地蔵様はお堂の中にいる。
こちらだけのお参りでも、すべての功徳をまかなうとのこと。
残念ながら、お顔がよく見えない。
外に立ってるお地蔵様は、それぞれ様子が異なり個性的に感じた。大きさも違ってたし。
台座も高けりゃ姿も大きい。見上げた後、礼。
浅草寺に比べれば、訪れる人は確かに少ない。
けど印象としては、結構人が来ていた。
その一因は、人力車の観光名所巡りだろう。
私がいる間、少なくとも5組は来ていて、人力車夫が説明をしていた。
外国人観光客がほとんどで、レンタル着物でおめかししている人も(男女問わず)。
車夫さんは、流暢な英語だったり中国語だったり、
ずっと笑顔で話していて、
楽しい思い出にしてもらいたいという気持ちが無関係の私にまで伝わってくる。
肉体労働のみならず頭脳労働も、加えて奉仕の精神まで。
ちょっとすご過ぎ。おいそれとできるもんじゃないね。接客が想像以上だった。
この日訪れる神社仏閣は、待乳山聖天だけにしようと決めていたので、
常に混み合う浅草寺は、帰りがけに横目で眺めるにとどめた。
待乳山聖天のサイトには、浅草寺一山のお寺のひとつとあったから、関係性はあるけど、
何というか空気が全然別物だし。
と納得してたのだが、帰りの電車で調べると、
その日は聖観世音菩薩の縁日。
聖観世音菩薩は、浅草寺のご本尊。
あ〜り〜、やっちまったかあ~・・・?