お米を買いに行った。
近所で一番安いのは、量販店の国産米。
単一銘柄を表示してないから、いろんな銘柄を混ぜているんだろう。
今月、他の買い物の時に値段を確認していたが、
今日買いに行ったら、その時より100円値上がっていた。
ひ、100円?
昨年の猛暑で作柄が悪く、お米の価格が上がっているのは知っていた。
しかし一気に来たな。
それでも比較的安めではあるけど、品質に比べどうしても割高に感じてしまう。
確か他のスーパーで、もう少し出せば単一銘柄のお米が買えたような。
そちらもすでに値上がってる可能性があるが、
とにかく行ってみよう、と向かってみた。
果たしてそのスーパーでお米の値段を見たら、
量販店のお米よりは高いけど、単一銘柄で差額が100円以内。よしこっち!
ああよかった、許容範囲内だ。
パンも麺も大好きだけど、米飯の満足感は格別なんだよね。欠かしたくない。
ついでに店内をまわって普通に買い物をしたが、
品物が入ってないのか、品出しの人がいないのか、
商品棚の空間が目についた。
業績不振で閉店の近いスーパーに特有の兆候がそれほど見られないから(一部怪しいところはあった)、上の2つの理由か売り場変えだったのかもしれない。
だけど、もう数十年前くらいからずっと、スーパーに行くたび思ってることがある。
いつもいつも、店内のどの棚にも食べ物が並べられてるって、
どれだけ幸せなことだろう。
今自分がいるお店だけじゃないのだ。数百m離れた別のお店でも、地域中のお店でも、日本中のお店でも、コンビニだって、
食べ物が不足なく棚を埋めているのだ。
お金さえ出せば、いくらでも手に入る。
あらゆる食べ物や飲み物が当たり前に並んでて、
こんなぜいたくな環境ってないんじゃないか。
そして、その先を妄想する。
もしかしたら、いつか、
この光景が幻になったりするんじゃないか。
スーパーの棚がガラガラになる日が来るんじゃないか。
異常気象で野菜も魚も減っていって、だから餌が減った肉類も生産が縮小していって、
食品会社は次々になくなって、
限られた食べ物はどんどん高くなっていって、
お金があっても思うようには手に入らなくなって、
なんて。
今朝の雨風もひどかったけど、
例えば台風などで警報が予想されると、
みんな買いだめに走るし、トラックが動けなくて物資が満足に届かないしで、
スーパーの、特にパンコーナーの商品棚がガランとする。
それを見るたびに、
そのうちこのガランとした棚が常の景色になるのかも、なんて思う。
まあ、そう思いながら幸いそうはならずに数十年だから、
杞憂に過ぎなきゃいいけどね。