綴ルンです

思ったことを綴っただけさ

目が黒くて動かざるお方に会いに行く

過日、目黒不動尊へお参りに行った。

以前からこのブログにたびたび登場している同行者に、同行をお願いした。

というのも、地図で見ると駅から少し離れてて、

道を知らないと迷いそうだったのと、

同行者は目黒不動尊が大好きで、これまでも何度となく訪れており、何なら先月も行っており、

黙って「行ってきたよ」なんて報告しようものなら

「一言 行くよと言ってくれたら・・・」

と、機嫌を損ねそうかなと考えたからである

(「そんなことない」と否定されたが)。

先月行ったばかりだというのにまた来てくれて、

本当に好きなんだな。

もし私なら「え〜先月行ったばかりだよ」と断りそうだ。

ご同行に感謝申し上げますとも。

 

目黒不動尊は、正式には

泰叡山護國院 瀧泉寺 という天台宗のお寺だ。

日本三大不動の1つだそうで、

もう1つは真言宗成田山新勝寺、あと1つは諸説あり(最有力は熊本の天台宗 木原不動尊)。

仁王門の扁額には『泰叡山』とあった。大きくて立派な楼門だが、左右の仁王像の傷みが気になった。

境内にはいくつものお堂や滝行の場もあるが、

まずは階段を上って御本尊にご挨拶。

この日は護摩祈祷が行われるため、お相伴に預かる気満々だった。

申込みをした人でないと堂内には入れないが、

正面扉がすべて開け広げてあるため、外から見る分には自由とのこと。

御本尊は秘仏だが、御前立は遠目にも凛々しい。

お参り後、同行者と一緒に端っこで待っていると、

後ろから鈴(りん)を鳴らす音が聞こえた。その前に太鼓も鳴ったかな?

チーンというよりリーンに近い音を鳴らしながら、

紫(光の加減で黒にも見えた)の法衣に刺繍の施された袈裟を着たお坊さんと、

緋色の法衣のお坊さん2人が本堂にやってきた。

お堂にはずっと、芥子色の法衣のお坊さんがいて

護摩の準備をしているようだったが、

このお坊さん、長時間の護摩祈祷のほとんどの間、腕を振り上げながら太鼓を叩いてて、

そのリズムや強弱の狂いのなさに、思わず拍手を送りたくなった。

和太鼓経験したから分かるけど、慣れるまで肩も腕もパンパンになるぞ あれ。すごいな。

 

で、肝心の護摩祈祷の様子なのだが、

護摩木がくべられ炎が上がるまで、想像より時間がかかってたのと、

炎が上がり始めたら、離れてるのに妙に熱くなったのと、

炎が反射したのか、御前立のお腹の辺りが2か所、目のような形に赤く光っていたのと、

(次はオペラグラスを持っていこう。御前立の細かい部分も拝観したい)

うっすら眠くなったのとで、

ついついボーッとしてしまった。

耳は起きてるから、読経や太鼓はしっかり聞こえてたんだが。

あと、護摩壇の左右に座した緋色のお坊さんたちが

炎を囲むように、護摩木を井桁に組み上げてたのはビックリした。

絶対ヤケドしてるでしょ。

覚えているのがそれくらい。また行かにゃ。

 

護摩祈祷の後は、境内を一巡り。

本堂後ろに控える大・大日如来坐像や四天王像、

境内のあちこちにいる様々なお不動さん、

お付きの童子たちが集ったようなお山、

江戸時代、さつま芋の普及を図った青木昆陽にゆかりがあるとのことで、境内に作られた芋畑、

(苗を植えたのは目黒不動尊LOVEキッズの皆さん)

観音様やお地蔵様は、露天の像の他にそれぞれお祀りされているお堂もあり、

役行者の像もあり(神変大菩薩像とのこと)、

阿弥陀如来がおわす阿弥陀堂

でっかい大黒様、

「無事」と書かれた蛙の石像(?)、

澄んだ湧き水の独鈷の滝と水垢離場、

果てはそこかしこに石仏がいらし、

ご不浄の前にも烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)がいらして(トイレの神様。さすが徹底してる)、

仏像でお腹いっぱいになること請け合いである。

さらに一旦境内を出て、道を渡ると

柱の上に小さな恵比寿様が、福々しさを漂わせながら笑っていて、

鳥居をくぐるとその奥に、恵比寿様と豊川稲荷のそれぞれのお宮。

お宮の左側に池があるが、その中にも何の神様か分からない石像が、首だけ出していた。誰?

 

とまあ、同行者の案内のもと、

時間の許す限り境内をウロウロと見て回った。

行った時間が遅かったこともあるが、

目の前で閉門されたわ。ギリセーフ。

なお今回おみくじは引かなかったが、

授与所でお香を頂いた。その名も『不動香』。

内容量を考えると、かなりありがたいお値段。

お寺の香りが落ち着くという人におすすめです。

ご縁があったらまた訪れたいが、

夏が終わってからだな。

水場がそこかしこにあるもんだから、

立ってるだけで大勢の蚊に囲まれてしまうので。

この日ももれなく数か所食われ、

不殺生戒の仏の教えの場でやむなく戦ったのだった。