続いて、融通稲荷の奥の弁財天へ。
水場があり、棚には竹ザルがいくつか並べられ、
銭洗いができるようになっている。
その隣、さらに奥には叶稲荷。
こちらは縁切りによる開運招福のご利益。
お宮の隣には、これまた棚があり、同じようなお供えがいくつも置いてある。
経木を舟型にして、そこにお餅やお揚げや甘味らしきものが乗せてあるのだ。
前に並んでいた参拝者もお供えを手にしており、その棚に置いて祈願していた。
それにしても、お供えをした参拝者も、その前からいてすでにずっと手を合わせていた高齢の参拝者も、かなり長いこと熱心にお参りしていた。特に高齢の方。
よっぽど縁を切りたい厄がありそうだ。
並んでると、隣の本殿から太鼓と金属音が聞こえてきた。祈祷が始まったようだ。
金属音は何だろう?鉦(かね)なのか鈴(りん)なのか、別のものか。
見られないから分からない。音は大きくないが、少し高い、よく伸びる音だった。
こういうご相伴に預かれるなら、並んで順番を待っているのもありがたいものだ。
なお、お供えは、境内の隣にある売店で買える。
私と同行者が素通りした裏口に、3軒のお店があり、
お供え物、おみやげ、おいなりさんを買えたり、
小腹が空いたらうどんなども食べられたりする。
私はそこまでまったく調べてなくて、
帰ってからお店の存在を知ったのだった。
お供えをしたい神様によって、お供え物が違うんだそうな。それも売店の方が教えてくれるとのこと。
次に行く機会があったら見てみよう。
叶稲荷の次は、大岡廟。
大岡越前守忠相氏は、愛知県豊川市の本山に縁があり、邸内に豊川稲荷をお祀りしていたそうな。
さてここからは、細かいところが定かでない。
小さな祠やお社がそこかしこにあって、覚え切れてないからだ。
覚えているところだけ書くと、
摩利支天にも手を合わせ、
霊狐塚という、奉納された無数のお狐様の像がいる一画には入らず、
奥の院という白塗りのお社にお参りした。
本殿の次に大きいお宮で、白さに存在感がある。
靴を脱いで中に上がっている人もいたが、
何となくそうはせず、外から手を合わせた。
奥の院なので、こちらにも豊川吒枳尼眞天がお祀りされている。
そのさらに奥に愛染明王もいらして、案内板に気が付いていたのだが、そちらにはお参りしなかった。
奥の院の隣の三神殿に気を取られていたからだ。
三神殿では、真ん中に宇賀神王、右に太郎稲荷、左に徳七郎稲荷が祀られている。
それぞれのご利益は、繁栄や商売繁盛、健康、円満な対人関係とのこと。
最後に、本殿の前で手水舎向かいの招福利生大黒天のお宮へ。開放的なお宮だ。
どちらへお参りするにも、並んでしばらく待つほどの人出だった。
同行者は御朱印を授かりに受付へ。お寺はお寺用の御朱印帳にしていると言う。
八幡宮の場合は神社とお寺どっちなんだろ?
御朱印を頂いた後、おみくじを引いてみた。
同行者は吉、私は大吉。おお。
実は、笠間稲荷神社にご縁ができちゃったから、
豊川稲荷へのお参りがどこか後ろめたかったのだ。
双方の神様に失礼かな、と思って。
だけど、そう思う方が失礼なことだった。
神様は、敬う心があればそんなことは気になさらないのだ、きっと。
おみくじの大吉は「案ずるな」ってことだろうと解釈した。ありがとうございます。
御朱印受付の近くにある子宝観音様にお参りし、
その後ろの植え込みに高3トリオの植樹を見つけ、
楼門のすぐ前にいた七福神の寿老尊にお参りし、
授与所を見に行った。
節分用の福豆は、季節・数量ともに今ならでは。
お守りや御札に目が行く前に、お清め塩に目が釘付け。これは嬉しい。
大小あって、迷った末大きい方を求めた。
3社のお参りを始める前から、少し頭が痛かった。
薬を飲むほどではなく、お参り後には遅いお昼で定食を平らげるほどお腹が空いてたりして、何も困ることはなかったが、
普段運動しないのに3.5km以上も歩いて、帰宅後はさすがにグッタリし、頭の痛みも増していた。
そこで早速、お清め塩で塩風呂にして入浴。
ここはケチらず湯船にザカザカとお塩を入れて(つってもたぶん大さじ2〜3杯くらい。ケチか)。
体の冷えもあったのだろう、
よく温まってお風呂を出たら、まあスッキリ。
お塩、いいっすよ。
今回巡った3社とも、話に聞くだけだったので、
行って見て感じられて、とてもおもしろかった。
1度行ったからもういいや、ではなく、
またお参りに行きたいな。特に豊川稲荷東京別院。
機会をくれた同行者に感謝。