いつでもどこでも手元に持てて、もはやインフラであるケータイ(スマホ)を
何でもない時につい操作してしまうのは、
手っ取り早い暇つぶしになるから。
何かの待ち時間や、
電車やバスでの移動中なんかのスキマ時間に、
大して頭を使わなくて済むからちょうどいい。
かつては本を読んでいた時間が、
ケータイいじりに変わった。
ケータイでも本を読めるけど、
紙に比べて目が疲れる。
その点、例えばネットニュースだと、
情報の細切れだから止めやすい。
おかしいな、ゲームなら目の疲れが気にならないのに。文字と絵の違いかな。
私はスキマ時間にネットニュースをずっと読むことが多いのだけど、
どうも読むほどに渇望感が増すことに気付いた。
次から次へとニュースを探す。
でも、何か目的があるわけじゃないのだ。
何だろう、私は何を探してて、
ニュースあさりを止められないんだろう?
読んでも読んでも、何か足りない。
これは一体 何なんだ?
比較したのは新聞だ。
新聞には、渇望感がない。
いろんな記事があるなあと見出しを見て、気になったらザッと本文を読んで、小説も読んで、広告にも目を通して、
読み終えると 完了した満足感。
私にとって両者の違いは?
たぶん、
フィルターバブルと雑多性。
そりゃ、必ずポチる記事はある。
今なら朝ドラの解釈とか背景の解説とか。
だが、似たりよったりの内容を次から次に出されても。その網羅いらないし。
すると、TV番組関連や芸能ニュースも出てくる。それもいらんし。
世界情勢でも、ニュースに出てくる国がほぼ固定化されている。
そうではなくて、意識していなかった国の知らなかったニュースも出てきてほしいのだ。
カテゴリを1つずつさらうこともできるが、そこまでして情報を追いたいわけでもない。
私に向けられたアルゴリズムが邪魔なのだ。
ここに現れたのは自分の世界の狭さだと言われているようで、
違うと言いたいのに世界の広げ方がうまくいかなくて、
目新しいものを探してしまう。
そうか 歯痒さともどかしさと、少しの悔しさだ。
対して新聞は、気にも留めていなかったことを知らせてくる。
その分野も多岐に渡る。
紙面を広げると、ひと目で見出しを把握できるのも目が楽だ。
そして、チラシも紙面広告も含めて、発見が多いから、
読むのが楽しい。
ただ、読み下す力の衰えにより、溜めがちだけど。
でも、古いニュースになっても必ず読む。
このブログを書きながら、
ケータイをいじっちゃう理由が自覚できたから、
明日からもう少し手を離せそう。
ただしネットニュース限定で。