綴ルンです

思ったことを綴っただけさ

ポンコツだっていいじゃないか

珍しくもないけど、

自分のポンコツぶりにアチャーとなる。

書類がまだ届いてないと思って、催促のメールをしたら、

「かなり相当だいぶ前に送ってます」の返信。

ギョッとして、あちこち引っ掻き回すと、

送られてきたまま仕分けもせずに、他の書類の束に紛れていて、

慌てて「ありました。すみません!」のメールを送る。

あああ恥ずかしい。

届いた時に、さっさと仕分けていればよかったのに、後回しにして忘れるからこんなことに。

 

世の中では、こういうやり取りも少なからずあるんだろうけど、

全体的に、人の失敗より自分の失敗の方が、

ひどくぶざまに思えていつまでも恥ずかしいのはなぜだろう?

たぶん、他の人が同じことしても、

「書類があったんだから良かったじゃない。メール送られた方も気にしてないよ、忙しいし。」

と言えるし、実際そう思うのだが、

自分がやると、ちょっと引きずる。

これはなぜ?

 

答え:ええかっこしいだから

 

要は見栄っ張りなんだな。

できると思われたい。頼りになると思われたい。

なるべく完璧でありたい。自分への理想が高い。

 

ムリだって。

だって正体はポンコツだもん。

 

昨年流れてたマネーフォワードのCMシリーズは、

バックオフィスの悲哀を人形に歌わせてておもしろかったし、何かの賞も取ったらしい。

その内の労務管理を歌った歌詞で、

「誰でもミスはするけれど、

労務の私はミスできない」。

それでも人はミスるものさ。

 

だから、失敗して落ち込んだら

みつを を呼ぼう。

「ミスったっていいじゃないか にんげんだもの

相田みつを氏のファンではないが、

この言い回しは自分を赦すのに使い勝手がいいから

よく使う。

命に関わるミスじゃなくて、訂正きくなら大丈夫。

そう考えると、お医者さんや看護師さんは重責だなあ。

 

よし、気持ち立て直した。

もう今さら、自分のポンコツぶりはバレてるし、

ミスも失敗も迷惑も、

お互い様ですみませんで気を付けようで回ってる。

いつまでもイジられる失敗があったら、

ランチやお茶や飲み会の持ちネタにして笑い飛ばしちゃえ(失敗の程度によっては笑えないが)。

言い訳して開き直るのはどうかと思うけど、

しっかり反省したら、

ポンコツええかっこしいも抱えてていいから、

次、行ってみよう!

だって私は『にんげんだもの』。