綴ルンです

思ったことを綴っただけさ

知られてなかった浮世絵師

詳しくないからなおさら、

その名を初めて知った。

鳥文斎栄之(ちょうぶんさい えいし)。

旗本の細田家という武家出身の絵師だ。

千葉市美術館で3月3日まで開催しているのを、

最初から ごった煮 - 綴ルンです

で同行の友人と先日一緒に行った。

 

浮世絵の作者といえば思い浮かぶのは、

広重、北斎写楽歌麿

栄之の活躍時期は江戸後期の1800年前後で、

錦絵での活躍は、有名どころだと歌麿と同時期だったようだ。

題材も歌麿と同様で、

展示された美人画には遊女の姿が多かった。

大首絵と呼ばれる顔のアップの作品は少なく、

全身を描いていたので、衣装の色柄に工夫が凝らされていた。

雲母摺り(きらずり)という控えめなパール様や、

空摺り(からずり)という、模様の凹凸だけを紙に付けるものなど。

着物や帯の多種多様な模様なんて、

同じものはなかったんじゃないか。

友人に言わせれば、それは宣伝のためなのだが、

ズラッと並んだ姿絵は、コーディネートのスタイルブックにも見えた。

当時、栄之が歌麿に拮抗する存在だったのは、

歌麿を育てた新興版元の蔦屋重三郎と、

栄之の主要版元の西村屋与八との販売競争が読み解ける、との解説があった。

まあ、売れてナンボだもんね。

 

物語の略絵(やつしえ)もいくつかあった。

場面そのままを描くのではなく、衣装や小道具で人物を見立てて当時の風俗に置き換える絵だ。

それから、大判の絵の連作。

4〜5枚の絵をつなげて1枚の絵にするのだが、

1枚ごとに独立させても成立する。

全体的に、色合いに派手さはなく、

落ち着いたトーンなのに、華やぎに溢れている。

遠景もおろそかにすることなく、しっかりと描き込まれていて、

様々な小道具や繊細な髪の表現など、

いつまでも見ていられそうだ。

こんな細かいのが木版画なんて信じられない。

もちろん有名絵師もすごいんだけど、

版画は分業制なんだから、もっと彫師や摺り師の仕事に光を当ててほしいな、とも思ったのだった。

 

画業の後期には、栄之は錦絵から離れる。

上にもチラッと錦絵の語句を混ぜたが、

浮世絵とどう違うのか、ザッと説明すると、

多色刷りの木版画が錦絵で、

木版画も肉筆画も込みなのが浮世絵である。

錦絵から離れた栄之は、肉筆浮世絵を描くようになった。

寛政の改革による出版統制があり、

出自が武家で将軍に仕えたこともある栄之は、

立場上、歌麿のように抗えなかったのだろうと解説があった。

しかしこの肉筆画の美人画が、

まあ たおやかで艶やかで美しいこと。

明治時代に多くの作品が海外に流出したため、

当の日本人には栄之があまり知られていなかったわけだが、

こんな画業を残した人を知らなかったなんて、

悔しいの一言だ。

 

展示の中には、当時使われていた絵の具の実物と、

その製造の方法と色見本もあって、

そちらも大変興味深かった。

友人は、

「錦絵といえば役者絵なのに、1枚もなかった」

ことに驚いていた。

言われてみて初めて気が付いた。

詳しい人は視点が違うね。

 

ただ、友人と私で意見が合った最も記憶に残る絵は

徳川家光が描いた『墨絵 子供遊図』。

はいだしょうこ画伯かと思ったわ。

力技で技巧の栄之をふっ飛ばす上様、さすがです。