綴ルンです

思ったことを綴っただけさ

最初から ごった煮

どう書いたものか逡巡してるうち、会期終了。

千葉・佐倉城跡に建つ 国立歴史民俗博物館での

企画展示『陰陽師とは何者かーうらない、まじない、こよみをつくるー』

に行ったのは、先月半ば。ってひと月経ったか。

一緒に行った友人は、江戸期文学のエキスパート。

文学のみならず、江戸期の文化に詳しい。

江戸時代に、暦が4度も組み直されてるので、

その辺りを楽しんでいたようだ。

文楽の題材にもなってたし。知らんかった。

 

しかし陰陽師と聞けば、

暦より先に、オカルト方面を期待してしまうではないか。

それに、まず陰陽道というものがよく分からない。

独自のような、仏教的なような、神道的なような。

なので、数々の疑問を解き明かしてもらおうと

期待して向かった。

のだが。

 

疑問とその答えは後にして、全体の構成から。

全3部から成り、内容は

1部 陰陽師の登場と仕事について

2部 安倍晴明について

3部 暦とその文化について だった。

(各部のタイトルそのままではありません)

さすが国立の博物館、本物の古い資料を惜しげもなく見せてくれるし、複製品もよくできてる。

が、いかんせん膨大な情報量に、

頭がクラクラして視点がウロウロする。

7世紀始めの記録から歴史が紐解かれるんだもん。

入口から説明の文字多過ぎ。仕方ないけど。

なお、この後紹介するのは、内容のほんの一部、表面だけになることを先にお断りする。

 

最も重要な仕事は、暦作り。

それから天体観測。星読みだね。

で、この2つを、賀茂家と安倍家が占めるようになるのが平安時代

朝廷に所属する職能集団が、なぜ2家でほぼ占められるんだ?と思ったら、

理屈をこねて子や兄弟に役職を継がせていたからだった。

他にも携わる氏がいくつかいたけど、

残ったのもあれば、利用された後、追い出された人もいて、結構えげつない。

こうして派閥はできあがる。

仕事が別々だったから、協定でも結んだのか?

この2家のうち、賀茂家は後々安泰ではなくなる。

ので、最終的には安倍家(とその傍流)が暦も星読みもやるようになった。

 

陰陽師の仕事は、もともと軍事活動の一環だった。

それが、たぶんエライ貴族の要請で、占いや儀式を軍事ではなく民事に行うことが増えたようだ。

例えば、病気の原因を占いで探って、

原因が五行思想に基づく不調なら医師に託し、

原因が死者の霊なら密教僧に託し、

疫神なら自ら祓う行をする、といった具合。

他には、火災予防、雨乞い、昇進祈願の儀式とか。

ある陰陽師の日記の一部を現代語訳して、

モニターで好きな日にちの出来事を読めるようにした試みが、とても興味深かった。

室町期には、賀茂家と安倍家は官僚から公卿に昇進してる。

時代が下るにつれ、民俗信仰とも相まって、

もう何だか何でも出てくる。

禁裏や将軍家の儀式を執り行う権威もありつつ、

民間には野良陰陽師も出てきちゃう。

辻占いに近いのか?

とはいえ、地方には、きちんと知識を持って人々を助ける、徳の高い地域陰陽師もいた。

 

それから、出土したまじない土器の実物があった。

かわらけ という素焼きの皿に、呪符をしたためたものが展示されていたが、

家の守りの呪符のようだ。効いたのかな。

あと、儀式で唱える内容の手引書とか、

呪符の見本の手引書とか、

着用した装束とか、しかも穴の空いたのを裏から繕ってるのも丸見えとか、

勉強してできるように頑張ってたんだね、と共感。

 

あとは、印刷技術の発達により、民間に暦と陰陽の知識と日取りが伝わっていった過程の説明。

干支と作物占いが結びついたり。

これが第3部につながっていく。

 

第2部の安倍晴明については、

申し訳ないけど「一生懸命膨らませました」という印象。

まあ陰陽師といえばこの人だし、避けられまい。

けれど、確たる資料が少ないんだと思う。

神格化して伝奇化して、イメージ先行したんだね。

伝奇の絵巻物として、

『泣不動縁起(なきふどうえんぎ)』2種類と

『玉藻の前草子』『たま藻のまへ』の計4点が、

デジタル資料としてモニターで見られるようになっていた(それぞれ所蔵が異なる別物)。

話の中身が同じでも、絵の違いを見比べられるし、こういうのおもしろい。

 

そういえば、

絵巻の秋 やまとの秋 - 綴ルンです

を見てた時、板張りの小屋のような簡素な牛車が描かれてた絵巻があって、

その時の友人と「荷物でも運んでたのかねえ」と話してた、その同じ絵が今回展示の中にあって、

その牛車は陰陽師が訪問占いをするのに本などの荷物を運ぶために使ってた、という答えが判明。

思わぬところで謎が解けた。

 

第3部は、江戸期以降の暦作りについて。

どのような形で暦が庶民に流布されたか、

日の長さや短さをどうやって測ったか、

なぜ4度も改暦したか、

どんな種類の暦があったか、

明治に入って、太陰暦太陽暦になる大革命(よくよく考えるとかなり大ごと、力技でよく断行したもんだ)、

戦後のGHQの暦への介入の理由、

外国のカレンダーの紹介 等々。

一つ一つ触れていると、どんどん長くなるので

こんなんでしたダイジェスト。

友人は、天文図・世界図屏風という、2双の大きくて豪華な屏風が見応えあったようだ。

私は、渾天儀を見たかったので見られてよかった。

中心の地球をいくつもの輪が取り囲んで美しい。

 

ここで驚いたのは、最後に展示されていたインドネシアのカレンダー。

1年を1枚で見られるポスタータイプだったのだが、

多宗教が入り混じる国なので、どの宗教にも対応している書かれ方なのと、

太平洋戦争中、日本が占領していた時期があった名残で、皇紀が書かれているのだ。

今年は2683年とのこと。

そんなのきっと大多数の日本人は意識してない。

歴史が歴史だけに、申し訳ない気持ちになった。

 

さて、陰陽道に対する大きな疑問。

陰陽道とは?

陰陽道って、私の所感は「ごった煮」。

源流は中国の道教。そこに仏教 とりわけ密教の要素が入り、修験道も加わり、祭祀には神道色も濃く混在、とあった。

ワケ分からんかったのは、使えそうな良さげなものを何でも取り入れていったからだ。

 

で、他にも細かい疑問が数多くあって、

展示を見進めるほど雪だるま式に増えてったから、

しょうがない、あとは自分で調べてみよう、

と調べ始めたら、

直前の夢に出てきた「盤古」の文字が、

まさかの道教創世神(後付け説あり)の名前で、

ビックリだし本当に知らなかったんだけど、それを証明するすべはないなあと思いながら中国の神話まで調べ始めて、

(地球7周分譲ってどこかでその文字を見てたとしても、これまで道教について調べたことはまったくないから、本当に謎)

何ならそこからインド神話まで飛びそうで、

インド神話の前に、足元の日本の神道の起源まで追うことになっちゃって、

そこまで調べる前に、資料としてこの企画展示を特集した『時空旅人』という雑誌を買い、

なぜか一緒に『呪術の日本史』なるムック本まで買っちゃって、これが怖いのなんの(両面宿儺とか数々の呪物とか、何でこんなの買ったの私)、

研究者でもないのにドツボにハマって何やってんだ自分状態。

ごった煮は、後味がちょっと悪い。

食べ切れるかな?