綴ルンです

思ったことを綴っただけさ

つらつら(あの日から)

人それぞれに、その人にとっての「あの日から」があるだろう。

嬉しいことも、悲しいことも。

今日の場合は、13年前の東日本大震災

あれからしばらくの間、

あの時どうしていたか、を

無事だった人と話すことが多かった。

 

どこでどんな災害が起こるか知り得ないし、

いつ当事者になるかも分からないから、

決して他人事ではないんだけど、

あまりにも大きな災害が起こって、それが自分から遠かった時、

自分が何事もなく過ごしていることに、

ありがたさと申し訳なさと後ろめたさを感じてしまう。

所詮、イイ人づらして傲慢なんである。

と、こうして書いていることすらも。

 

東日本大震災では、

原発事故の大きな課題を残されている。

原子力発電所の是非については昔から問われているが、

私がその危険性を初めて知ったのは、

月刊の少女マンガ雑誌『ASUKA』に1988年に掲載された

『パエトーン』(山岸凉子)を読んでからだった。

1986年に起こったチェルノブイリ(現 チョルノービリ)の原発事故を受けて描かれたものだが、

絵よりも字の方が多い読み物だった。

けど、それからますます電化製品は増えていき、

消費される電力は膨大になり、

それこそ原発でもないと、電力の供給が追いつかなくなっている。

『パエトーン』では、

確か「好適にとどまらず最適を求めること」に疑問を呈していたと記憶していて、

それを読んでから、日常の不便や不具合をどのくらい妥協できるか、

自分のテーマとして課していたところもある。

しかし、こんなにあれもこれも電気で動く生活に慣れてしまうと、

つい、自分の快適さを真っ先に追いがちだ。

今、原発反対を唱えている人は、

世帯消費電力の使用量を基本料金内に収めてるんだろうか。

電気を三段料金払うまで使っておきながら

原発反対」はないわ、と思う。

 

原発のことに限らず、

あの日、目の当たりにした現実を、

うろたえながらこわごわと抱えて、

進んでいるような、その場で足踏みしてるような、

未だにそんな気も拭えないけど、

これまでも人はどうにかしてきたんだし、

私もできることをできるなりに。

と、毎年改めて考える この日。