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年明けの寺社行脚 2

年明けの寺社行脚 1 - 綴ルンです

で、まずは赤坂氷川神社を参拝した。

次に向かうのは、山王日枝神社

山王を付けずに、日枝神社 だけでいいようだ。

子どもの時分に、その前を通ったことだけはある。

大きな鳥居が印象的で、その向こうはただ広々とした空間だった記憶があるのだが、

記憶違いか、40年の間に街もろとも変わったのか、その両方か。

三角屋根が付いたような独特の山王鳥居がそびえる向こうは、

視野のすべてを占めるほどやたらと幅の広い階段と

両脇に剥き出しのエスカレーター。

いやあ、近代的ですなあ。

機械をこんな剥き出しで、誰が整備するんだろ。

宗教法人って税金かからないんだよね。

お隣は永田町だから、センセイ方も来そうだよね。

っと、妄想が生臭いぞ。

階段は山王橋といい、エスカレーターで楽チンに上っていったが、

てっぺんまで乗り換えが2回。3基もあった。

 

現在、一部改装工事中だが、参拝に支障はない。

社殿の前に行くには南神門が近く、

中曽根康弘 元首相が揮毫した扁額が掲げられている

が、同行者「入り口違う気がする。」

他の参拝者は、南神門の右方向に進むので、

それについていくと、デンとした手水舎があり、

彩色の艶やかな随神門があった。

「やっぱりこっちだ」と同行者。

この随神門、参道側に随神像が控えているのは他と同じなのだが、

社殿側にいるのは、神馬ではなく神猿の像。

神猿と書いて まさる と読む。

魔が去るとか、勝るとか、優るとかの意味合いらしい。

神の使いの猿は知らなかった。

申年には参拝者で激混み必至なのだろう。

 

都心部の神社だからか、人が多い。

外国人観光客、普通の参拝者、お宮参りの家族連れ、あと団体の祈祷も。

こちらでも、お参りした時は祈祷中だった。

太鼓だけでなく、笛の音も聞こえて、

ご相伴に預かった気分。

御祭神は、大山咋神(おおやまくいのかみ)。

須佐之男神(すさのおのかみ)の孫。

相殿に、国常立神(くにのとこたちのかみ)、伊弉冉神(いざなみのかみ)、足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)。

すみません、相殿の最後の神様、初耳でした。

 

随神門にも社殿にも、そこここに菊の御紋。

場所が皇居の裏鬼門に当たり、そのため随神門の社殿側の額には『皇城の鎮』とある。

が、元は徳川の崇敬社。江戸城の鎮守だったのが、明治維新で皇居の守りとなったようだ。

来歴のためか、訪れる人のためか、土地の色か、

全体的に端正な佇まいで、少しプライドのようなものも感じた。

 

社殿の右方向に摂社があり、

拝殿は1つだが、中に入るとお宮が2つあった。

右のお宮は、八坂神社と猿田彦神社の合祀、

左のお宮は、山王稲荷神社だ。

拝殿の左手に、たくさんの幟や何基もの朱塗りの鳥居が建つ稲荷参道があって、外からこちらだけの参拝もできるようになっている。

拝殿に奉納された2枚の大きな絵馬があった。

真に、絵馬。絵に描かれた馬。

もっとよく見ておけばよかったな。

 

こちらでは頒布品というお守りやグッズは、軒並み都心価格。

千円千円千円、とセリのようにつぶやいてしまう。

でも長い列ができていた。

同行者は御朱印受付へ。こちらも列。

書き入れと書き置きが選べる。

これだけ人が来るなら、書き置き一辺倒でも誰も文句言わないだろうに、書き入れてくれるんだね。

 

随神門を出ると、表参道に当たる急な下り階段がある。男坂という。

同行者がこちらから行きたいと言うので、階段を下りたが、一段の高さが優しくない。

上って来る人が息を切らしてるよ。

転ばないよう気を付けて下りて、下り切ったところで見上げると、

壁のような階段の向こうに、随神門の上の方が見える。これは急でも上りたくなるかも。

こっちが表側、というには、前の道が広くないし、高い建物に囲まれて、何だかドン詰まり感。

 

そこから大通りに出るまで、日枝神社の山をぐるりと半周歩いた。

そうか、日枝神社は山の上の神社なんだ。

ここだけポコっと、山だ。

周りの建物がもっと高いから、そう感じなかったけど。

日枝神社が面している外堀通りに出て、赤坂見附へ向かう。

休憩を挟まず行く先は、

豊川稲荷東京別院