で、解除されたはずの『笠間』フィルター。
日本橋の笠間稲荷神社東京別社へお参りに行った後、しばらくして、
買い物していた食品店で、これ見よがしにたった1つだけ冷蔵ケースに残っていたのは、
「笠間栗のプリン」。
フィルター解除 無効?
何でよ?何が気になってるんだろう?
そのうち気にならなくなるのかな。
微かな引っ掛かりを感じながら、再び放置。
昨年の春のこと。
ある日、スピ系YouTubeを見ていた。
動画の主は、近付くゴールデンウィークの開運な過ごし方を紹介していた。
「海の近くの温泉など、自然を感じられる場所でリラックスして過ごせると、癒やしと浄化の一挙両得なので、もってこいですね。」
いいねえ。箱根とか熱海とか伊東とか鴨川とか勝浦とか、あるしねえ。
そして何となく、コメント欄を読もうと思い開いたら、とあるコメントが
「茨城の笠間稲荷神社に行ってきます!」
うわあああ!嘘でしょ?
あの過ごし方の紹介で、それ出てくる?
てかそれ私にはズバリじゃないか!
で、観念した。
これは、茨城の方に行く流れだ。
何だか分からないけど、行こう。
下調べして、えっちらおっちら電車を乗り継いで、
笠間駅に着いたのは、ゴールデンウィーク期間の平日。休日だと混みそうで。
駅から歩いて行けそう。道筋は調べておいたし、スクショもした。
ずっと真っ直ぐ進んで、近くなったら右に曲がればいい。
そんな簡単な道を、どういうわけか迷う。
かなり歩き進んでもそれらしきものは見当たらず、町の雰囲気も普通の住宅街で不安になって、目に付いたもので現在位置を調べる(スマホありがたや)と、
まったく手前で右に曲がってて逆に行き過ぎてたから、今度は左方向に修正しなければならなかった。
大きくて歴史のありそうな造り酒屋に行き当たり、その脇に『笠間稲荷神社 近道』の手書き立て札。
ありがたし!と細い道を通り抜けると、
目の前に、大きな鳥居が現れた。
鳥居をくぐると、参道の両脇にアーケードのある小ぶりな仲見世街。露店もチラホラ出ていた。
手水舎でお清めをして、ふと見上げると、
この手水舎全体に、美麗で繊細な彫刻が隙間なく施されていて、圧倒された。
たまたま地元のボランティアガイドさんが観光客に説明してるのを、さり気なく一緒に聞くと、
手水舎の上の欄間に十二支が彫られているという。
よく見ると、外側と内側の両面彫りで異なる動物になっていた。
他にも、正面には、天の岩戸を開けようとする天之手力雄命(あめのたぢからおのみこと)と見守る神々。
4本の柱の上部に8体の獅子。猛禽類を象った雲。
柱と梁を繋ぐ数々の花、木、鳥は、同じ意匠のものはない。
こんなに美しい手水舎を、これまで見たことがない。
たっぷりと眺めて先へ進むと、次は大きな随神門。
随神門をくぐった右手に、今を盛りと咲き誇る藤の大木が2本。
どちらも藤棚に広く枝を広げ、奥の方の藤は八重咲きだ。初めて見た。
甘やかな香りが辺りを包み、目と鼻を盛大に楽しませてもらった。
これだけで、ここまで来た甲斐があったような。
社殿はおそらく混雑時の仕様だろう、大きなお賽銭箱が拝殿の前に立ちはだかり、近くまで行けなくなっていた。
お参りして、拝殿の脇から奥の本殿の方へ行ってみると、本殿は修復工事のためにすっかり囲われて姿が見えなかったが、囲いの塀に、本殿の彫刻の写真と説明が張られていて、それを読むのも楽しかった。
さらに奥を見ると、境内に隣接して、笠間陶芸美術館があった。
じゃ、やっぱり稲荷神社の方でよかったんだな。
拝殿から、祈祷の祝詞が聞こえてきて、太鼓が鳴った。
後で知ったが、毎時 祈祷が行われるらしい。
訪れている時に太鼓が鳴ると、何だか嬉しい。偶然なんだけど、歓迎されているようで。
でも毎時かあ。ちょっとありがたみが薄れ。
そして、巫女さんが手刷りしているというおみくじを引き、凶にガッカリ。
で。
ここまで来て、お参りしてハイ終わり、じゃないよね。
本殿修復工事の奉賛金を、奉納してってことだよね。
東京別社で読んだのにスルーしたからね。
はい。
と、社務所の祈祷受付で奉納できるとのことで、
奉賛金の額と名前と住所を用紙に書いて、納めてきたのだった。
帰りに参道の仲見世で、笠間焼のお茶碗を1つ購入。
夢に出てきた柄を覚えてなかったから、気に入った物を買った。
ちなみに、笠間焼の職人が栃木の益子に行って始めたのが益子焼になったようだ。
笠間焼も、信楽焼の職人から焼き物を教わったのが始まりとのこと。
焼き物の歴史は、益子焼より笠間焼の方が古かったわけだ。
失礼しました。
これで今度こそ、『笠間』フィルター 解除。
そして確かに、その後『笠間』の文字を見ることはなくなった。
先月、昨年の12月までは。
続く