綴ルンです

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年明けの寺社行脚 1

年の瀬の神社行脚 1 - 綴ルンです

の同行者から話があったのは、昨年の暮れだった。

「赤坂界隈の神社に一緒に行かない?」

予定しているのは、

赤坂氷川神社、山王日枝神社豊川稲荷東京別院

どこも行ったことがない。

行きますともー!

日にちの都合をすり合わせ、先日行ってきた。

 

待ち合わせは、東京メトロ 六本木駅

ギロッポンすか。何年ぶりだろ。

国立新美術館ミュシャ展を見に行ったのは2017年だったから、7年ぶりか。

しかし、待ち合わせが六本木駅なだけで、

行き先は赤坂方面。

まずは赤坂氷川神社へ。

 

東京って、意外と坂だらけだよね。

駅を出て、坂を下って坂を上って、

不意に現れた鳥居。

楼門と社殿を真っ直ぐ望めたが、後で調べたところ表参道ではなかったし、同行者は知っていた。

しかし、私が「全部真っ直ぐ見られるからもう入ろう」と提案し、いつもなら表から入ることにこだわる同行者がそれに同意してくれたので、一礼して鳥居をくぐった。

右側に境内公園とイチョウのご神木、庖丁塚。

左側に九つの神社を合祀した九神社。

三の鳥居の前で見上げて額を見ると、

『氷川大明神』とあるが氷の字が違う。

にすいの扁に木。似た字で『冰』があるけど、

つくりが水じゃなくて、どう見ても木。ほう。

その鳥居をくぐって左に手水舎。

新年らしい松竹梅の花手水がすてき。

楼門は、左右の壁が特徴的で、一言で言うなら

ミルフィーユ漆喰壁。

築地塀というのだと後で知りました)

分厚くて手が混んでるのに、大きな窓穴が楼門の左右に開けられてるので、外から社殿がよく見える。

 

その社殿は、徳川吉宗公により建てられた時のまま

震災も戦災も免れたサバイバー。

地元の崇敬を集めるわけだ。

全体的に朱赤で、古びた感じがしない。

ただ私には社殿より、後付で広げた軒を支える柱の金属製の装飾が不思議でたまらなかった。

なぜにアールヌーボー調だよ(デコの方かも)?

その軒に吊り下げられた灯りにも、西洋の雰囲気。

わざと和でそろえなかったのかな。謎。

参拝時は、会社らしき団体のご祈祷中だった。

御祭神は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、大己貴命(おおなむぢのみこと)。

 

同行者は御朱印をいただき、私は授与品を眺め。

お互いにおみくじも引かなかったが、

同行者は以前のお参りで求めた やかん鈴 をカバンに付けてきていた。

コロンと金色でちょっとかわいい。

女性には、縁結びさくらんぼみくじが人気らしい。

 

楼門を出て、左手の山車展示場で2基の立派な山車を見て、

同行者は来た参道に戻って九神社にもお参り。

それから、御神木の大イチョウを見に行った。

神社が遷座される前から植わっており、

戦争で被災したため、太い幹が裂け、ポッカリと うろ になっていた。

が、芯が無くても残った外側で生き続け、幹を伸ばした先で芯を再生し、二股に分かれた先で今でも葉を茂らせているという。

あっぱれだ。かくありたし。

 

御神木と山車展示場の間に二の鳥居があり、

くぐると古そうな下り階段がある。こちら側が表参道らしい。

参道が、楼門と社殿に対して直角だ。

階段を下りると、勝海舟によって名付けられた『四合稲荷(しあわせいなり)』がある。

4社の稲荷を合祀したからだが、現在は最終的に6社合祀になっている。

その側にも、小山を上る西行稲荷や小山の洞の祠や小山の横の祠など、数々の摂末社

四合稲荷の向かいに橋があり、水場を渡ると少し広い空き地があって、奥の階段を上ると境内公園だ。

いろいろございますな。

 

再び階段を上って二の鳥居をくぐり、

もと来た参道から退出。

次に行く山王日枝神社へは、階段を上らずそのまま表参道から一の鳥居をくぐって出た方が近いと思ったのだが、

「入った所から出たい」と同行者。

後で聞くと、階段下の稲荷社の辺り、ちょっと怖いのだそう。

私はそうは思わなかったが、

四合稲荷神社のお社の軒下の雨樋に枯れ草が垂れ下がってるのを見て、管理が少々行き届いてないのかな、とは感じた。

忙しいのかもしれないけど。

 

それと、ビックリしたのは奉賛者名板。

土地柄でしょう、額がケタ違い。

最高寄付額は、赤坂通り商店街の壱阡伍百萬円。

はい?

そうでなくても、個人で何十萬とか何百萬とか、

はいい?

それでお稲荷さんの辺り、きれいにしたれや!

 

さて、お次は山王日枝神社だ。