ってタイトルだと、おでんぽいね。
この巾着は、餅巾着ではなく財宝を入れる巾着袋。
どちらも浅草は待乳山聖天(まつちやましょうでん)本龍院のシンボルである。
浅草は何度も訪れているが、
浅草寺は境内が広くて、たくさんのお堂や摂末社があるから見どころたっぷりで、
そこに仲見世だ商店街だって周り出したら、
午前中から行っても半径100m内で夜まで過ごせてしまう。
逆に言えば、これまではその辺りしか訪れていなかったのだ。
あれは何年前だろうか、新聞のお散歩記事で
待乳山聖天を知った。
浅草寺が国内外の観光客でごった返す中、
少し離れただけなのに、観光客が少なくて、
地元に愛されている穴場だと紹介されていた。
記事を読んでからずっと、いつか行きたいなあと思っていたのだが、なかなか叶わず、
今回やっとご挨拶の機会を得られた。
浅草駅から隅田川沿いに歩いていると、
門の木の色が新しく、最近建てられた様子に見える。眼力の強い龍の彫刻に両側から見下ろされた。
入るなり、片や大根、此方巾着の提灯がお出迎え。
境内のそこここに、大根と巾着の柄。もちろん本殿の正面にも彫刻され、金色の飾りにも浮き彫りが。
参道の左側に売店があり、お供えの線香、生花、大根が売られている。
そう、ここでは大根がお供え物なのだ。丸ごと1本。
買おうか迷ったが見送って、本堂前でお賽銭を納め、鰐口(神社では鈴にあたる金属製の仏具)を鳴らしてお参り。
その間、本堂から参拝者が出たり入ったり。自由に中に入れるようだ。
それなら、と靴を脱いで本堂に上がった。
本堂に上がってまず目に入るのは、
内陣前に積み上がった大根。
座って堂内を見回すと、天井の真ん中に龍がいて、
その左右には麗しい飛天が描かれている。
欄間にあたる壁の上方は、花や鳳凰などの彫刻が絢爛な彩色でぐるりと施されて、とても美しい。
御朱印や授与品は、堂内の右側で受け付けていた。
しばらく座っていたが、大根をお供えしたい気持ちがむくむくと湧いてきて、本堂を出て売店へ。
お供えの大根は1本200円。
それを持って再び本堂へ入り、そっと積み上げてお供えした。
大根台の前、床と同じ高さにお賽銭を納め落とす所があるのだが、
さっき外でお賽銭納めたしなあ、とそこはスルー。
でもお供えしたから、堂々と真ん中で内陣の奥を拝める。
といっても、奥行きがあるからご本尊の姿は見えない。厨子にいるのかどうかすら分からない。
左側にご本尊の本地仏の十一面観世音菩薩のご真言が示されていたので、
それぞれ3回、ブツブツと唱えてみる。
その間にも、本堂は人が出たり入ったり。
大根も積み上がる一方。
いつまでも真ん中にいるのは無遠慮なので、後ろへ下がって座り直した。
本堂の後ろには、経机という小さな台が積まれ、
何人かの参拝者がそれを自分の前に置いて、お経の冊子を置いて読みながら小声で唱えていた。
長い数珠をこすり合わせる人、
畳におでこをつけるほど頭を下げ、その頭の脇で両手のひらを天井に向ける礼拝をする人、
手は伏せているが、お供えした後に土下座のように深く3度礼をする人、
皆さん篤い信仰心が伺える。
中には瞑想でもしているのか、前の方で背筋を伸ばしたまま身じろぎもせず座っている人もいた。
私もほけらと座ったまま。
この本堂、とっても居心地がいい。
居心地がいいけどダレるでもなく、身も心も引き締まるでもなく、中庸でいられる感じ。
しかし、お尻に根を生やすわけにもいかず、
立ち上がって堂内でおみくじを引き(吉。ちょっと読みづらい)、お辞儀をして本堂を出た。
本堂の周りにもいろいろある。
無料で乗れるメッチャ短いモノレール『さくらレール』は、赤い車体の窓の上にさり気なく龍の絵。
お百度参りカウンターもある。何度目のお参りか分かるようになってる仕掛けは、親切なのか何なのか。お百度参り勧めてるのか?
稲荷尊の鳥居とお社、道灌稲荷の碑。
宝篋印塔、って何だろ?
本堂の裏を一周して、
お供えのお下がりの大根を頂いて帰ろうと思い、
お下がり大根が積まれた小屋の前に行った。
思いのほか長くなったので、続く