綴ルンです

思ったことを綴っただけさ

議論・論争・対話

世にセンセイと呼ばれる人たちの議論の様子が

TVに映されると見苦しく聞き苦しいと感じるのは

議論というより論争しかしてないからかも

と、ふいに思った。

声高に自説や信念を唱えるばかりで

違う意見に聞く耳を持とうとしない。

噛み合わずにヒートアップするだけ。

それじゃ話が進むはずもない。

 

私もちょっと、人と言い合いをした。

相手の話が不合理に感じられて、

後で第三者に意見を求めたのだが、

話の半分はグチだから、第三者は私をなだめるしかない。

自分の気分が落ち着いたところで、少し反省した。

一般的に合理的と思われる最短ルートはあっても、

すべての人がそれを選ぶわけではない。

私が相手にしたのは、

それを選べというゴリ押しだった。

相手が出してきたのは、私にとっては謎の迂回路だったけど、

大した手間ではないのだから、

意固地にならずそちらを選んであげてもよかった。

要らぬ言い合いは、要らぬこじれを生んだ。

 

また別の日に、友人と話している時のこと。

繊細なテーマなので濁しながら書くと、

かねがね疑問に思っていた事柄が、

所変わって人も変われば見え方も変わる、という、

至極真っ当だし頭では分かっていたことを

具体的に話してもらえたことで、

自分の疑問には偏見が混じっていたと知らされた。

その偏見は、新聞やTVの報道に作られた部分もあったと思うが、

その偏見混じりを土台にしてしまうと、

どうしたって本質は見えてこない。

友人は、そのテーマに知見を持っていて、

かつ どちらにも偏らない高い視座から話してくれたので、

私は自分の偏見を素直に認めることができた。

 

話し合うことは大切だ。

その話し合いが、建設的な議論ならいいが、

互いに主張を繰り返すだけの論争で、

相手を言い負かすことに血道を上げるばかりでは

本末転倒だろうよセンセイ方。

大人数向きじゃないけど、

対話するつもりで話し合えばいいのに。

「それってあなたの考えですよね」

そうです、私の考えです。ではあなたの考えは?

そしてそれってあなたの考えですよね。

なあんだ、お互いさまですね。 の次、

ではここからどうしましょう? が大事では?

 

前から思ってはいたけど、

今回改めて私が学んだのは、

相手の考えを理解できなくても、そういう考え方があると認めること と、

そうするにあたって謙虚になること。

私はこれだけ生きてても なお、

未だに知らないことばかりだし、

一生かけても知ってることは、たかが知れてるのだ

きっと。