『小さな親切 大きなお世話』
なんて言い方は、とても優しい。
現実には大迷惑なことがほとんどだ。
TVの報道とネットニュースで、
能登半島の被災地に、賞味期限切れの食品や要冷蔵の食品が送られてきたとあり、
つくづく呆れてしまった。
ネットのコメント欄でも、呆れたり諌めたりで、
それが大多数の世間の常識と良心だと思う。
でも、こういうことって無くならないらしい。
過去に熊本かどこかでもあったと聞いた。
期限切れ食品だと分かってて、自己責任で食べるならいい。
にも書いたが、気にしない人もいる。
ただし、それは各々が判断できることが前提だ。
避難所のように、大勢の人がいて、
偏りなく食料を行き渡らせなければならない状況で
いちいち聞いてまわれないし、それ以前の話だ。
あと、要冷蔵の食品。
冬だから、寒いから、放置しても大丈夫?
なわけないでしょ。冷蔵品、放置できないでしょ。
そんで、支援物資置き場や避難所に冷蔵庫があるとは限らないのに、品質の管理どうすんの?
それに、届く過程で温度管理されていたかどうかも分からないのに、配れるわけがない。
支援スタッフの方が話していた。
長引く避難生活でストレスも増していき、
ただでさえ健康状態が悪化しやすいのに、
「期限切れの食品なんか配って体調を崩されたら、
ぼくらのせいになってしまう。」
だから個人の支援物資を送られると、品物を確認する手間とゴミが増えると。
気持ちはありがたいけど、と。
送る人は、何を思って送るんだろう。
少しでも何か役に立ちたい、という善意か。
何でも入り用だろうから何でも送ろう 期限切れてるけど大丈夫でしょ いいことしてるぜ自分、という善意の皮をかぶった悪意か。
どちらにしても、想像力なさすぎでしょ。
続々と支援物資が届く現地の仕分けの大変さと、
被災した方々の今に対して。
そして、善意の行いはすべてが許されるとでも?
そろそろ、無邪気で迷惑な善意を本気で叱らないか。
『善人は、なぜまわりの人を不幸にするのか ー救心録』(曽野綾子 著 祥伝社)
この本は衝撃だった。
善いことをするのは良いことだ、との思い込みを
木っ端微塵に砕かれた。
その行いは、本当に善いことなのか。
人ではなく自分一人が満足してるだけではないか。
行いのその先まで、考えたことはあるか。
著者はクリスチャンで、宗教観に基づく見方も多分に出てくるが、
それでも人として普遍的な部分を問うていた。
この本で、自分に刻んだ一文がある。
「善意は、時に悪意より厄介だ」
相手が善意からしたのだろうと思うと、強く否定できない
受け入れられない自分が悪いのではと思ってしまう
そう思うのは 優しさだ。
だけど もう、
困るのだと伝えていいと思う。
併せて、どうしてほしいのか も。
善意の皮をかぶった悪意なら言語道断。
ぶった斬れ。
逆に、今回のように自分に何ができるかを考えて、
今回なら募金が最善だろうけど、
例えばもっと身近な人が困っていて、何をしたらいいか分からず要望も聞けなかったら、
何もせずに気に掛けるだけでもいいと思う。
ま、どんなに求められてもそれムリって要望もあるだろうから、
できる範囲でやれることを。
大きなお世話や大迷惑にならないように。
親切にもスキルがいるのだ。